気になりすぎるYoutubeやSNSの表現:「xx歳まで女性でした」はありえない!ー性同一性障害
最近、Youtebe等で見かける表現で、どうしても、「うっ!」と思う、違和感のある表現が有って...性同一性障害の方などが、「xx歳まで女性でした。」というような表現をYoutubeその他で見かけますが…「それ、身体な!!」って思います...笑僕も、性同一性障害です。国の指定する医療機関に2年程通院し、診断書が発行されました。診断を受けてから、もう10年以上経ちました...早い!最近、LGBTということばも広がってきて、「自分らしく」自分を表現していくことが当たり前になって嬉しいのですが、でも、治療として「外科的手術が必要」か、「必要ないか」で、はっきり分けるべきだと僕個人は考えています。LGBの方、幸せをつかみ、自分を表現する自由が認められるべきです。ただ、Tを性同一性障害と捉えるなら、それは表現の自由ではなく、「外科的処置の権利、必要性」の問題だと思います。話は戻りますが、僕の場合は、1回も。生まれてこの方1回も「女性です」なんて思ったことない!笑そりゃ身体は女性かもしれないけど、自分で自分のこと「女性でした」なんて、思ったこと1回も無い!!それで、冒頭の表現「xx歳まで女性でした」に、「これは勘違い生む可能性あるなあ...」、と思って、これだけは発信したかったんです。「xx歳まで女性の身体でした。」とか「xx歳まで胸が有りました。」とかならわかる。それに、今の医療では染色体迄は変えれないし、自分の性別の生殖器を持ってなくても、別で作って移植したりすることも出来ないから、「自分は男性なんですけど、染色体が偶々XXで生まれてきて、言葉にできないくらいめっちゃショックですけど、男性の生殖器も無くて、xx歳まで胸は有りました。」とかならわかるけど…性同一性障害では無い方が、「xx歳まで女性でした」ってだけ聞いたら、「えっ、女性が男性になったん?」と思ってしまうと思う!だから、ちょっと、僕なりに訂正したかった…だって、何度も言うけど(しつこいな笑)生まれてこの方、自分が女性だなんて思ったこと一回も無いもん!笑性同一性障害、って、実際に自分がそうだから言えることだけど、自分の身体がどう考えても違和感あるんだよ、自分が男性か、女性か別にして、そんなことも考える前の、ちっちゃい、幼児の頃から、「あれ?なにかはわからん、でも、なんだろう?絶対おかしい…」が子供の頃からあって、少しずつ自我が芽生えてくるときに、「ほ~ら、この服に合うよ~」って母親からフリフリのワンピース着せられて、「うげえ、いやいや、おかしいだろう(怒)、なんてもん着せてんねん!!」って心で怒ってるんだけど、上手く表現できなくて、ギャン泣きするん笑少しずつ「もしや、これは、周りは僕の事『女の子』だと思ってて、それが明らかにおかしいから起こる問題なんじゃないだろか…」と薄々小学生くらいになると考え出すのさ。だんだん友達とか、接する人増えてくと、自分がどっちかはっきりわかってきて「男子」のはずなのに「女子」にカテゴライズされるのおかしいやん!っていっつも思うようになる。でも、「みんなきっと同じなんだろうな」「我慢してるだけだろ、なら僕も我慢しなきゃな」になって、だんだん我慢が積み重なりに重なりすぎて、心が小学校中学年くらいから死んでくような感じになって。思ってることを人に言えなくなって...そして、遂に迎える最後の一撃。小学校高学年になると、「生理」がやってくる。その時の不快感と「死にたい」と思う気持ちは説明もつかない。たぶん、自我が「女性ホルモンによる体の作用」に耐えられなくて悲鳴を上げたんだと思う。そこからは、ほぼ鬱だった。毎日「死にたい」と思ったし、中学校に進学した初日に、セーラー服を着せられてギャン泣きした試着の時もギャン泣きした。もう、他の方法で伝えることが出来なくて限界だったんよ。ずっと、ずっとそんな感じの子供時代だった。薄着になる授業は全てボイコット。集団で入る風呂もボイコット。一番仲良かった男子の友達2人にさえ、本当に考えてることや、感じてることは言えなかった。彼らの方で「お前はさあ、なんか、女子じゃないよな?」とは言ってくれてたけど、そこまで言ってくれてるのに、意気地なしで僕の方からは何も言えなかった。こんな、子供時代をすごしてたんで、「xx歳まで女性でした。」は「ない!!!笑」それって、たぶん、性同一性障害じゃない。。。んじゃない?かな??いや、医師ではないけどさ、魂、というか、精神というか、自分というか…性別変わるもんじゃないでしょ…?自己判断で色々発信される方もいるかもしれないけど...一応医療機関でしっかり見てもらってから、「性同一性障害:」として発信した方がいいと思うし、実際に診断された人も、僕らの様に体験しているわけではない人が、表現を受け取ってどう思うかをよく考えて、言葉を慎重に選んで発信した方がいいと思う。僕の場合は(自分の体験しか書けなくて「僕は、僕は」になって申し訳なのですが...)、身体がおかしい、苦しい、辛い…というのがずっと続いて、何度も自傷行為をしたし、ブラジャーはついに一回も付けたことが無い。胸を殴って殴って、出来るだけ大きくならないように、あらゆることをしたから、周りから見たら、ほぼ無い状態だったみたい。(※殴れば小さくなるってわけでもないし、自傷行為は本当にやめよう!本当に後悔しかしてない!!)それでも、少しでもある膨らみのせいで、何度も死のうと思った。本来あるべき生殖器がないことも、好きな人に愛情をどう表現すればいいかわからなくて、子孫も残せなくて、ずっと苦しみ続けてる。それが性同一性障害だと思う。性同一性障害は「障害」じゃない、という運動もあるみたいだけど、僕に言わせれば、どう考えても普通じゃない状態で、完全には克服、回復できないけど、出来る事だけでも治療したい、させてください!という状況だから、形成外科的手術で胸をとったり、生きていくために…治療を受けさせてください!僕は、風呂に入るのもいやだった。苦しかった。水泳も、小学生中学年以来したことが無い。海で遊んだこともないし、温泉にも行ったことが無い。友達が楽しそうにしてても、海やプールで遊ぶ人がいても、自分には出来ないんだと、泣きながら我慢するしかなかった。ヨガや、ジムも、更衣室の問題が有って僕は行きたくなかった。だから、胸の切除を受けた今は、1つの違和感からは少なくとも解放されて、四六時中胸の違和感に感じる辛さから、やっと解放された。もう、意識しなくてよくなった。普通になった。みんな最初から、こうなのだと知った。自分の「普通」になれば、「嬉しい」とか「喜ばしい」とかじゃなくて、ただ「何も感じなくなる」だけなんだ。アタリマエ、が当たり前になった。それだけ。「普通」を持っている人には「普通」が分からない。息が出来る時に、息が出来ないとどのくらい苦しいか分からない。僕にとっての「当たり前」を手にする、それだけのために、とても長く、心も体も苦しんだ。これはあくまで僕の一個人の意見だけど、こういう状態が実際に存在していて、これが病気じゃないというなら、なんだろうと思う。治療を受ければ、「あるべき形=健康(僕の感じ方では心身の))」に近づくのが現実なのだから...人によって感じ方は違うのかもしれないけど、ちょっとな...とどうしても思えて、発信したいと思いました。長文を読んでくださった方、ありがとうございます!めげずにHappyに生きましょう!