最近は、
当たり前になっていることからの気づき
が増えたように感じています。
今日もそれがありまして。
「ちょっとなに言ってるんやこいつ」
となるかもしれませんが。
その気づきは何かというと…
〇〇をする=その時間を△△にする
ということ。
・
・
・
ん?
↑
こんな顔になりますよね!?なりましたよね!?ハイスミマセン
時間は有限、とはよく言う話。
時間とは自分の命のこと、もよく聞く話。
だからめちゃくちゃ大事なんだよ、
ってことなんですが、
その本当の意味を分かっていなかったというか
なんというか…。
分かりづらいので
〇〇をする
の例を出して書いてみます。
例えば
「恋愛映画を観る」だとしたら、
その映画を観ている間は
ドキドキしたり
きゅんきゅんしたり
推しの俳優の言動に悶えたり
切なくて胸が苦しくなったり
涙したり
ハッピーエンドに満足したり
と、いろんな感情を味わう時間になるわけです。
なので、
恋愛映画を観る=恋愛を疑似体験する
になると思うんです。
これが「アクション映画」だったら、
ハラハラしたり
無敵の主人公にわくわくしたり
危機的状況に焦ったり
映像に圧倒されたり(今の映像技術ってすごいですよね)
スピード感で颯爽とした気持ちになったり
最後には達成感を味わったり
そんなことを感じる時間になるわけです。
そうすると、
アクション映画を観る=主人公になりきってその世界観を楽しむ
とかになるわけです。
だいたいどんな映画を観ようか考えるときって、
その時の自分の気持ち
と
その映画を観ることで何を感じたいか
で決めていませんか?
(目当ての推しが出ていることも決め手ですよね…)
なんとなく、
で観ることも多いと思いますが
「これ今の気分とちがうな」
とかもあるじゃないですか。
そうやって、
「何を感じたいのか?」
で決めていると思うんですね。
○○をする
で、別の例も出してみます。
例えばあなたが
弁護士になりたくて勉強するとします。
(なぜオ・スジェなのか、という韓ドラにハマってるナウ死語)
弁護士になるための勉強をする=時間を勉強に充てる
ということなんですが、
(おいおい、国語の成績小学生レベルか?)
その時間って
何か別の表現ができると思いません?
勉強をする → 何のために? → 弁護士になるために
→その時間は、弁護士になる過程、と同義。
勉強する=弁護士になる過程の時間
と言い換えることができると思うんです。
勉強する=弁護士になった自分の記録
と完了形で言っても良いかもしれません。
弁護士になる覚悟を決めていれば、
時間がかかるだけで弁護士になっているはずですから。
寿命に間に合うかどうかだけの話だと思うんです、
勉強し続けていれば。
時間を△△に変える
時間と〇〇を等価交換している
ということなのかな?と感じました。
なんでこんな話をしているかというと、
やるべきことができない自分を
どうやったら変えれるのだろうか?
をずっと考えているからです。
(いや、考えるよりさっさと行動しろ)
どういう人生にしたいかおおよその理想があって、
その理想を実現するためには
目の前にやるべきことがあって、
そうなると自分を変えないと難しい。
でも怠け者でできない。
でも現状に不満があって
理想の人生にしたい…
でも、でも、でも…
ぅぁああああああっ
延々と無限ループ。
はて、この私が過ごしている人生とはなんぞや?
と、自分を俯瞰して見たときに気づいたんです。
(宇宙に浮かぶ地球→日本→住んでいる町→家→生活している私、
と順に映像を思い浮かべました)
人生は、何気なく過ごす毎日を集めたものだから、
私がどんな風に日々過ごしているのかと振り返ると……
「あ、このままだと私の人生、
言い訳だけで出来上がっちゃうんだ」
…
理想の未来、
とかなんとかカッコイイこと言っちゃって、
実際ふたを開けたら
ただできない理由を探してやらない
言い訳して不満をもらすモヤっとした毎日を送る人。
これが私の正体、私の人生。
なんか、悲しくなってきちゃいました
私の人生=言い訳達人の軌跡
なんて望んでいないんだけどな。
でも、毎日の過ごし方を見ていると
その一言で片付けられちゃうんですよね~涙
なので、
当たり前にしている行動、
潜在意識に入ってしまった生活習慣、
これをやるときに、
いちいち立ち止まって
「それ、何の時間?」
と自分に問いかけてみようと思います。
潜在意識に入っちゃっているので
気づくことが難しいかもしれませんが、、、
今日は靴下を反対の足から履いてみよう
とか
玄関のドアノブをいつもとは反対の手で開けてみよう
とか
いつもとは反対の行動をして
小さく小さく、
潜在意識にバグを起こして。
小さな変化を積み重ねていきまーす♪軽っ