リアミツルさんが隣に居たなんて

リアミツルさんが隣に居たなんて

ごく身近で、起こるわけないだろって思ってたことが起こったのでブログにしたためます。記録みたいなもの。誰にも言えないことなんで穴を掘ってその中に言えないことを埋めてしまおうという、そういうブログです。

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昨日、オハヨーの奴からメールがまた来ていた。
今週は会えないですか?といういつもの文と共に「会いたいと思って…しました」という文章。何をきっかけにこいつは思いを募らせているのか。一度会ってやみつきになっているということか、セフレとしてたまには会いたいということなのか、それともテレフォンセックスは何度かしたことがあり、その時に会えたら会いたいねなどと言っていたことがあるのか。

主人の答えは、週末には東京に行くことと「お遊びする余裕がなくて」という断り方。余裕というのは金銭面か、時間か、精神的なものか。しかしまぁ性格上、「あなたとは会う気はありません」とかいう切り方を出来る人ではないので、やんわり断っているということの類ではある模様。やはり、お金は十分に渡すべきではないなと痛感した。

「お茶とかだとご主旨に反してしまうのでしょう?」ということも書いていたので、ちょっと会うくらいならいいけどとは思っている様子。私としては会うことすら辞めてほしいのだけど、会うのか会わないのか、また会うこと会ったことを私に言うのか言わないのか。そこが問題だ。

今夜にでも何か一言言ってやりたい気持ちでいっぱいで、ネットで色々検索してしまった。少し落ち着いてきてたてた方針は、とにかく泳がせようということ。メールのやりとりしか無さそうだしメールがまた返ってきたり送ったりすればわかるはずなんだ。それを確認することがまず何より。

そして、あの事件以来一応反省したり悔いているんではないかということを信じるということ。まだ何もしてはいないのだからとにかく一旦は信じてみよう。

そんなとき、男性料理研究家が大怪我で入院していて奥さんが献身的に看護しているという記事を読んだ。
もしも万が一のことが彼にあったなら、私が看護するしかないんだろうなと。彼も私に頼るしかないんだろうなと思った。

最終的に帰ってくるところは結局私の居る家だ。私のところだ。
心身の悩みも真実も、私だけが知っていることはそんな奴らとは比べものにならないほど限りなくある。それを信じよう。彼も同じことに気づいてくれることを、信じてみようと思う。