【精神疾患の高齢者介護記録・13】:今一度、自分自身の決意を確認する回顧録 | なべちゃりん的な考え方?? 宜しければ、戴いて下さい♪

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自虐史観撤廃、外国人参政権反対、
この徹底が私の信条であるために
それに至った介護記録が続いている。



過去記事も含めて、全ての実体験に...
お付き合い頂ければ嬉しい限りです。




◼︎補足◼︎

リアル友達の方、特にいいねもコメントも
必要はありません。

「花咲か爺さん」 として種が蒔けたら
という心境です。
宜しくお願いします。


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2000年にお付き合いを始めたステディ。
彼女は当時からうちにも遊びに来ていた。


祖母


母親と2人で祖母を介護していたので
そういう様子も見てきてくれている。





祖母を看ながら当時の仕事を続けていては
「家」 を繋いで行くことは難しいので、
転職を考えながら資格取得の勉強もした。


祖母を看取ってからは、遺してくれた金銭で
夜学の専門学校にも通って卒業して
すぐに二級建築士にも合格出来た。
本気だった。



「建物」・「造形物」・「空間設計」…
そういったものが好きな素養を活かしながら
「家」 を繋いで行きたいという想いは、
ステディを迎え入れ母親と同居して行こう…



日本古来から大切にしてきた 「忠孝」 を
実践したい想いが、祖母の介護を通じて
当たり前のように備わったのだと想います。




これの実現に家系と建物を考えて 「家」 を意識し
自分の素養と合わせて次の道を建築に絞ったのは
ごく自然な流れであり、そんな自分が紆余曲折で
自虐史観に目隠しされた日本に気付いたことは
偶然では無いと思っている。
(当シリーズの前編を参照)




結果的には母親を病ませていたひとつの原因に



「本当は一緒に住みたい。でも、住み慣れた
今までの環境を崩されたくない…」





そう、思わせてしまった部分はあろうかと思うが
自分が取得した技能と資格で仕事が在宅で出来る、
その点は今までの鬱の療養を看てこれたことには
プラスに働いたはずなので、不幸中の幸いであった。





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老人は環境の変化に弱い。
自分からも動きにくい。
自宅の修繕がある程度終わっても、
状況的にはまだ同居までの道のりは長かった。
母親の寝たり起きたりは続いていた。





「家」 自体は母親のものである。





一人家族が増えるから「老前整理」してくれ



とは、なかなか無理強い出来るものではない。






躁鬱の精神疾患で、しかも震災での経緯により
要介護でいずれ認知症になること確定の母親に
「老前整理」 は難しく厳しい作業だった。。。






しかし、2006年以来の母親の精神治療と
これまでの様々な経緯を共に闘ったステディを
もうこれ以上そのままには出来ない。
自分の決意には変わらなかった.。



週末婚はもう12年続いている。事実婚である。






自分の事情も全て知っている。









何をためらう必要があろうか?





別に同居がすぐに叶うまいが
婚姻届を出せば済む話ではないか?







私は、プロポーズした。








「2012年5月21日に金環食が見られるの知っとる?」





「キンカンショクって何? (^^;; 」




ま、そういったステディが私は好きなんだが
一応の説明をしてご納得を頂いてから、







「何10年に一度、しかも東京で見られる絶好の
 天体ショーの日に結婚しようじゃないの?」








そう口説いて、我々は無事夫婦になった。


結婚叶う1





「続」