自虐史観撤廃、外国人参政権反対、
この徹底が私の信条であるために
それに至った介護記録が続いている。
この徹底が私の信条であるために
それに至った介護記録が続いている。
過去記事も含めて、全ての実体験に...
お付き合い頂ければ嬉しい限りです。
お付き合い頂ければ嬉しい限りです。
◼︎補足◼︎
リアル友達の方、特にいいねもコメントも
必要はありません。
「花咲か爺さん」 として種が蒔けたら
という心境です。
宜しくお願いします。
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2000年にお付き合いを始めたステディ。
彼女は当時からうちにも遊びに来ていた。
母親と2人で祖母を介護していたので
そういう様子も見てきてくれている。
そういう様子も見てきてくれている。
祖母を看ながら当時の仕事を続けていては
「家」 を繋いで行くことは難しいので、
転職を考えながら資格取得の勉強もした。
これの実現に家系と建物を考えて 「家」 を意識し
自分の素養と合わせて次の道を建築に絞ったのは
ごく自然な流れであり、そんな自分が紆余曲折で
自虐史観に目隠しされた日本に気付いたことは
偶然では無いと思っている。
結果的には母親を病ませていたひとつの原因に
「本当は一緒に住みたい。でも、住み慣れた
今までの環境を崩されたくない…」
そう、思わせてしまった部分はあろうかと思うが
自分が取得した技能と資格で仕事が在宅で出来る、
その点は今までの鬱の療養を看てこれたことには
プラスに働いたはずなので、不幸中の幸いであった。
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老人は環境の変化に弱い。
「家」 を繋いで行くことは難しいので、
転職を考えながら資格取得の勉強もした。
祖母を看取ってからは、遺してくれた金銭で
夜学の専門学校にも通って卒業して
夜学の専門学校にも通って卒業して
すぐに二級建築士にも合格出来た。
本気だった。
「建物」・「造形物」・「空間設計」…
そういったものが好きな素養を活かしながら
「家」 を繋いで行きたいという想いは、
ステディを迎え入れ母親と同居して行こう…
そういったものが好きな素養を活かしながら
「家」 を繋いで行きたいという想いは、
ステディを迎え入れ母親と同居して行こう…
日本古来から大切にしてきた 「忠孝」 を
実践したい想いが、祖母の介護を通じて
当たり前のように備わったのだと想います。
実践したい想いが、祖母の介護を通じて
当たり前のように備わったのだと想います。
これの実現に家系と建物を考えて 「家」 を意識し
自分の素養と合わせて次の道を建築に絞ったのは
ごく自然な流れであり、そんな自分が紆余曲折で
自虐史観に目隠しされた日本に気付いたことは
偶然では無いと思っている。
(当シリーズの前編を参照)
結果的には母親を病ませていたひとつの原因に
「本当は一緒に住みたい。でも、住み慣れた
今までの環境を崩されたくない…」
そう、思わせてしまった部分はあろうかと思うが
自分が取得した技能と資格で仕事が在宅で出来る、
その点は今までの鬱の療養を看てこれたことには
プラスに働いたはずなので、不幸中の幸いであった。
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老人は環境の変化に弱い。
自分からも動きにくい。
自宅の修繕がある程度終わっても、
自宅の修繕がある程度終わっても、
状況的にはまだ同居までの道のりは長かった。
母親の寝たり起きたりは続いていた。
母親の寝たり起きたりは続いていた。
「家」 自体は母親のものである。
一人家族が増えるから「老前整理」してくれ
とは、なかなか無理強い出来るものではない。
躁鬱の精神疾患で、しかも震災での経緯により
要介護でいずれ認知症になること確定の母親に
「老前整理」 は難しく厳しい作業だった。。。
要介護でいずれ認知症になること確定の母親に
「老前整理」 は難しく厳しい作業だった。。。
しかし、2006年以来の母親の精神治療と
これまでの様々な経緯を共に闘ったステディを
もうこれ以上そのままには出来ない。
自分の決意には変わらなかった.。
これまでの様々な経緯を共に闘ったステディを
もうこれ以上そのままには出来ない。
自分の決意には変わらなかった.。
週末婚はもう12年続いている。事実婚である。