【精神疾患の高齢者介護記録・7】:今一度、自分自身の決意を確認する回顧録 | なべちゃりん的な考え方?? 宜しければ、戴いて下さい♪

なべちゃりん的な考え方?? 宜しければ、戴いて下さい♪

何かの?誰かの?お役にたつ話題や
考え方もあると信じて続けたいと思います。
ご感想・ご意見・いやいや!
それは違いますよ!!でも勉強になるので、
何でも言っちゃって下さい!!
おもしろ楽しく、でも真剣に
なべちゃりんブログは、ここにあります♪


前号は、母親を介護していこうと決断した出来事として
大戦で英霊となった祖父様の贈位の日付が

私の誕生日の丁度1年前であったという事実を

知ったことであり、本当の日本の歴史への造詣を

自分から深めたい...

と思えたことで、

より加速していくきっかけになったこと。







本号以降は、近現代史の疑問を紐解いて行く過程で

自分の過去の出来事への回想と意外な事実関係、


さらに今後は、我が家に実際に起きた実体験の事件から
私の考え方・立場が確立して行ったことを述べます。



長文、お許し下さい。




ーーーーーーーーーー




なぜ、そもそも私は歴史に興味を示すようになったか?




それは少年時代のアニメの影響である。
9つで永別してしまった父親との記憶にも起因する。



兄と私の2人兄弟で4つも離れている弟の私は、
下の子としては実に「気さんじ」な子供だったようで
ムズガリもせず和かな素直な、絵を描くのが好きな子で
父親の膝の上に座って「宇宙戦艦ヤマト」のTV放映を
見ることを楽しみにしている少年であった。



兄は4つ上で、実に聡明で、ヤマトのモチーフが
旧日本海軍の「戦艦大和」であることを知るとすぐに
海軍好きになって図鑑や本を読むようになった。
弟の私は当然兄の真似をする。

それがまずきっかけの一つ。


大和のスケッチ  



今でも戦艦大和を描けと言われたら、何も見ないで
添付投稿の写真ほどの「戦艦大和」を描ける。
見たものを二次元に封じる作業に長けていたのだ。



兄はクラッシックピアノをやって譜面に強くなったので
その逆で、二次元の譜面を三次元の時間時空流れの中で
表現する方向に長けていたようだが、これは余談。



ーーーーーーーーーー

そして、話は母親の介護を決意した出来事に戻るが
(前投稿の【精神疾患の高齢者介護記録・6】参照)


祖父様の贈位の証書を見つけた後、お位牌を清めて
フト裏書を見てビックリしてしまった…。





祖父様は旧ビルマでの戦死だったのだが、

その日付が…



お位牌と遺影



昭和20年4月7日…







そう、





「男たちの大和」でご存知の方もいらっしゃるか?



戦艦大和

天一号作戦で沖縄特攻に赴いた「戦艦大和」が
坊津崎で沈んだ日付とまったく同じであった。







「団扇(うちわ)を扇子(せんす)で還す」創意工夫の国





その日本が技術力を存分に注ぎ込んだ傑作であり、
艦船だけでなく船舶の歴史上でも最高峰といえる
この立派な船が、「一億特攻の先魁(さきがけ)」
となって東シナ海に散ったその日とまったく同日に
我が祖父様は南方旧ビルマで戦死されたのである…







「自分もまた、介護との闘いの特攻だな…」

そういう感覚も得た。







誰も戦争などしたくない。
しかし、逃げ出したら護るべきものはどうなる?
未来はどうなってしまうであろう?





祖母が生き残ってこその母親であり、私だ。
逃げ出さずに身体を張って下さって祖父様、
本当にありがとう。





心の底から、そう想った。





涙が滲んだ。





その涙の奥で遠い記憶が蘇ってきた。





そう、絵が得意だった私のエピソードである。





ーーーーーーーーーー

父が肺がんで亡くなったのが私が小学3年のことで
「宇宙戦艦ヤマト」放映が終わって兄貴がすでに
「戦艦大和」へと興味の鞍替えを果たしていた頃だ。



私も兄にならって小学校ではすでに鉄道の絵から
軍艦の絵をたくさん描いていたのだ。



すると、どうであろう?



担任の先生からわざわざ連絡があり自宅まで訪問して
兵器の絵を描く子として危険視し、注意しに来た。



祖母が私を守ってくれた。





「描きたいようにさせてやってほしい」


祖母と私24  





私は注意されても意味がわからない。



当然である。

小学3年の学童に戦争の本質がわかるかよ。





描きたいものを描けと言われて描いて
それが上手で褒められたのに、怒られた。





わけがわからなかった。









それが、大人になって分かってきた。





そして、「自虐史観」を植え込まれ続けていることで
日本は謝り続けさせれらていると分かったきた。





では、何でそもそも戦争になったのか?





その遠因は一体何ものであろうか?





仕事を在宅に切り替えざるを得ない状況になるほど
母親の精神的健康がおかしくなっていった時期に、
そういうことを考えながら、日本人の近現代史を
もう一度、今度は司馬遼太郎の歴史小説ではなく
ネット上で取得出来る様々な情報からと
ご近所に住むご老人などにもご意見を聞いてみて
自分で時間をかけて実体験として取材しよう、
そういう風に思って行動を始めてみた。





まだ母親が前期高齢者になりたての頃で
時期的には2009~2010年のことである。








「続」