【精神疾患の高齢者介護記録・5】:今一度、自分自身の決意を確認する回顧録 | なべちゃりん的な考え方?? 宜しければ、戴いて下さい♪

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今項も、私が母親を介護する決断をした

経緯について書いていくことにする。


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祖母の介護を手伝う機会を与えてくれた

母親には、共に家族が最期の掛け替えのない

日々を送れた点で、決断した母親には

非常に感謝している。




が、同時に自分の人生も考えてながら
日々の生活があるのは仕方のないことだ。








ほとんどの人は働きがなければ

食べていけないので、自分でやる介護は

諦めるのが普通だろう。

しかし、当然、金銭問題が発生する。



本人負担にせよ家族負担にせよ、


「金で終末を買わねばならない」


その事実には変わらない。


本人も含めて誰がどういった「負担」をして
何が出来るのかを現実的に考えていかなければ
家庭崩壊の危機に発展して行くことになる。



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日本の「核家族化」による弊害の一つにも

なるが、家族の中で色んな世代が

共存出来なくなっている現実…



三世代屋根の下で共に暮らす

「サザエさん家庭」の激減
というか、ほぼ絶滅に向かっている現実は、

何かにつけ 「便利」「合理的」 などの優先ばかりを 

追求していて、実は「心」「精神」「伝統」を繋ぐ

本来の「家」の在り方にとっては

非常に問題が大きいように思う。



もちろん一方で、子供に自立心を促すためにも

「可愛い子には旅をさせろ」

「早く家を出て自立せよ」



という考え方は非常に正しいことで、

自主独立なくして 「家」の新たな形成も

それまでの「家」を守ることも難しいことになる。



親から祖先先人から受け継いだ

「身体」があればこその今の「自分」であることを

「便利ボケ社会」の現代人は本当に忘れている

と思って危惧している。さらに…



先の大戦後、GHQが施した「日本弱体化政策」によって
独り善がりな「自分勝手」=「自由」であるような風潮が
日本社会に蔓延して、現代の「便利ボケ日本」には、
「公」や「家」という日本特有の「忠孝」「倫理観」
といった概念さえ崩壊させていると思えてくる。




このシリーズの以前の記事で書いたが、
祖母の介護中に亡くなったあとのことを考えて
「家」を繋いで行くことも視野に入れ

次の展望を持って母親の老後の面倒を見ながら

新たな家庭を持てるように自分の素養をも考えた

資格取得も同時に果たして生業にしながら

この「家」を守って行こうと決意したその原点は、

こういった日本の現状への危惧も大きい。




各家庭で様々な事情があるだろうし正解はないが
実はこういった「人それぞれ」であってはならない
「家」の問題というのは、今の日本が何かによって
侵食されているような感覚が私自身の中にある。



そういう意味でも、親の面倒を見て「忠孝」尽くす
これは私の哲学になってもいる。
自宅に持ち帰って仕事が出来る技能も幸いした。


(【精神疾患の高齢者介護記録・3】参照)




そして、母親が鬱で自身喪失してしまったある時、
前安倍政権の頃だろうか?


祖先に母親の快癒をお願いしながら
お仏壇を掃除していた時、

今の自分にとって決定的な事件が起きた。
非常に重い、大切なものである…


贈位証書の発見



「続」