37回にも渡る昨年のシリーズ
http://ameblo.jp/nabechalin/day-20111219.html
【謎の外人・エディソン(37)】
:独り善がりな人々…。最終回
連載の続編に当たります。
※連載お読み頂いている方々は
◆◆◆◆◆次の左記印までワープ願います…
・・・・・あらすじ・・・・・・
エディソン氏は、2009年9月に近所の外国人の
奥さんからの連絡を受けて、
我が屋の下宿に入ってきました。
会社が倒産し、バッグ1つでファミレスをウロウロ
しているところを、母親が好意で救いました。
しかし、母親はその時、そう状態にあり
私の忠告を無視し、彼を受け入れてしまった…
その後の顛末は、前シリーズを読んで下さった方々は
伝わっていることと思います。
母親は、そう状態からか?
※その深い理由は、今回のシリーズに後述するとして
彼に必要以上にお金を都合してしまいました。
それも外車が3台は買える金額です。
困っている彼を助けたい気持ちは尊いですが
結果的に彼が全て焦げ付かせてしまったために
うつが再発し、そして段々と意識障害になり
なんと、あの3.11の大震災を知りません。
その後、計画停電で通院先を失い、
病院に連れていくこともかなわず、
在宅医療で繋いだのち、ネットでどうにか
探し当てた病院での外来で 『死にたい』
と言ってしまったがために、その場で
【医療保護入院】
になりました。
私はその顛末の全ては、彼と母親の
『連帯責任』
だと思っています。
つまり、そんな返すアテも無く借りる方も
何の書面も遺さず貸す方も悪い。
彼はチリ人で、20年住み慣れた日本語は達者
ですが、“同音異義語” などのある難しく
でも深く美しい日本語は読みも書きも出来ません。
なので、借用書なども書いていません。
ですから、これは家族として財産を護れなかった
私の責任でもあると考えて 『連帯責任』 として
彼との縁を切ることが、一番良いと思っていました。
昨年の母親の 【医療保護入院】 より
大分以前から、
『母親には連絡はしないで欲しい』
と私が言っていましたので、
エディソン氏はそれを守っていました。
健康上精神衛生上、母親の保護者になった私の
当然の措置だったと思っています。
______あらすじ終了______
しかし、1月の中旬に彼からの携帯電話
でのやりとりで母親に相手がエディソン氏で
あえることがバレてしまい、迂闊にも
替わってしまい、所在の確認で安心させた
一方で、面会には応じられず先延ばしに
し続けていることへの不安感から、
あまりにも大金を都合したことを気に病み始め、
私は電話に替わったことを後悔しました。
しかもパスポートも失効している
事実を知ってしまいました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
『エディソンさんはそんな人じゃない』
と言い張って頑なになり、自分で何度か
電話したようでしたが・・・
その日暮らしに転落して、バイトバイトの
彼は出られる時間帯も限られていたのでしょう。
返信は一切なくなります…
・・・・・・・・・・・・・・
身内である私では言うことは
聞いてもらえないであろうと考えて、
本人も希望して行政の無料法律相談へ予約して
2012年1月の下旬に付き添って行って来ました。
年配のベテランの、しかも厳格な父という感じの
母親がもっとも対応不能なタイプの弁護士に、
要するに、客観的に考えて
素性の分からない外人に部屋と大金を都合して
そこには契約書も保証人も書簡の取り交わしもなく
現在、携帯電話のみの繋がりで面会にも
応じてくれなくて困っている・・・
そういう相談主旨になってしまい、
『貴女が変わらない限り、今後同じ過ちを
起こすことになりますよ!』
と、キツく叱られて塩漬けのように萎んで
帰ることになりました。
・・・・・・・・・・・・・・・・
ま、普通そういう風に考えるよな…
私も2009年秋当時の母親の暴走を
制止出来なかった責任を感じて、
喫茶店によってなだめました…。
『お母さんのしたことは尊いよ。
でもあの弁護士さんの
言うとおりなんだよね。
お金は誠実に、今度は時には厳しく
生きていれば、必ず別の形になって
返ってくるんだから・・・』
そう、言ってなだめて
落ち着かせてから
地元のコミュニティーバスに
載り込んでみたら………
なんと、
そこに、
エディソン氏が先に載っていたのです!!!
『ママ、会いたかったよ!!!』
どういうこと?
なんで、このタイミング?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
どういうわけか、彼の顔を見た瞬間、
母親は元気になりました。
私は、母親の性格をよく知っています。
当然です。ずっと共に生きてきたのですから。
良くいえば、温和で気さくですが
悪く言えば、外面を良く保とうとし
他人の意見や言葉・立場に流されやすい。
この時も、あれだけの目にあったにも
拘わらず、記憶や意識の障害を経て
すっかり忘れてしまい、
仲良くエディソン氏と最高尾列の席で
おしゃべりを始めました。
___母親って、どこまで天然なんだ?___
私は、こみ上げるアドレナリンを抑えつつ
公衆の面前で諍い揉めることは避けて、
中程出口付近で立ち、どういう話になるのか?
そして、言うべきことをどう伝えるか?
思案し始め、そして自宅付近のバス停に
着きました…。
◆◆◆◆◆_以上、前号までの内容______
私はバスを降りてすぐ言いました。
『なぜ、こちらから行くと言っていたのに
所在地も明らかにしないで、そして
このように何の予告もなく来るのですか?
こちらにも都合があります。
偶然バスで出会えたから善かったですが
人には予定がありますから、来るなら
事前に連絡を入れるのが筋ですよね?』
エ: 『デンワしたけどね、出なかったよ』
な: 『私の携帯にはなかったですが?』
エ: 『ママにレンラクした』
____機械音痴の母親が着信履歴のチェックや
留守番電話を聞けるはず無いからなぁ…
な: 『ま、とにかく我々の家へ行きましょう』
エ: 『イイエ、ファミレスにしましょう』
な: 『何でですか?』
エ: 『サイTさんに見つかるのヨクナイです』
_____サイTさんとは、彼を当家下宿へ斡旋した
元コロンビア人の外国人妻です_____
(何がヤマシイんじゃい!!!)
(わいは、彼女にもあんたが200万借りている
ことを知っているんじゃい!!!)
(ま、何か話したいなら、母親のために
応じてやるしかあるまい…)
な: 『じゃ、とにかくここに入りましょう』
そして、ようやく2年ぶりの3者会談は
始まったのである…
・・・続く