. -168ページ目

中村座「江戸三座」 葺屋町芝居町跡(日本橋人形町)

江戸の芝居小屋は、寛永元年に山城の狂言師で京で猿若舞を創始した猿若勘三郎が、中橋南地(なかばしなんち、現在の京橋のあたり)に櫓をあげたのにはじまる。これが猿若座(さるわかざ)である。ところがこの地が御城に近く、櫓で打つ人寄せ太鼓が旗本の登城を知らせる太鼓と紛らわしいということで、寛永9年には北東に八町ほど離れた禰宜町(ねぎまち、現在の日本橋堀留町2丁目)へ移転、さらに慶安4年にはそこからほど近い堺町(さかいちょう、現在の日本橋人形町3丁目)へ移転した。その際、座の名称を座元の名字である中村に合せて中村座(なかむらざ)と改称している。

歌舞伎劇場の名。江戸三座のうち最も古く由緒をもつ劇場。1世猿若勘三郎が寛永1 年2月江戸中橋に劇場を建設して猿若座と称したのが最初で,のち本姓の中村を取って中村座と称した。同9年禰宜 (ねぎ) 町に,次いで慶安4 年上堺町 (堺町) に移って栄えたが,天保 13年天保の改革で3座ともに猿若町に移転を命じられた。明治以後は衰運に傾き,都座,猿若座と改称,1884年浅草鳥越に移って興行したが,93年の焼失後再建できず,かつ 95年に 13世中村勘三郎が没して中村座の名は名実ともに消滅した。



via I Love Nihonbashi
Your own website,
Ameba Ownd

中村座「江戸三座」 葺屋町芝居町跡(日本橋人形町)


江戸の芝居小屋は、寛永元年に山城の狂言師で京で猿若舞を創始した猿若勘三郎が、中橋南地(なかばしなんち、現在の京橋のあたり)に櫓をあげたのにはじまる。これが猿若座(さるわかざ)である。ところがこの地が御城に近く、櫓で打つ人寄せ太鼓が旗本の登城を知らせる太鼓と紛らわしいということで、寛永9年には北東に八町ほど離れた禰宜町(ねぎまち、現在の日本橋堀留町2丁目)へ移転、さらに慶安4年にはそこからほど近い堺町(さかいちょう、現在の日本橋人形町3丁目)へ移転した。その際、座の名称を座元の名字である中村に合せて中村座(なかむらざ)と改称している。


歌舞伎劇場の名。江戸三座のうち最も古く由緒をもつ劇場。1世猿若勘三郎が寛永1 年2月江戸中橋に劇場を建設して猿若座と称したのが最初で,のち本姓の中村を取って中村座と称した。同9年禰宜 (ねぎ) 町に,次いで慶安4 年上堺町 (堺町) に移って栄えたが,天保 13年天保の改革で3座ともに猿若町に移転を命じられた。明治以後は衰運に傾き,都座,猿若座と改称,1884年浅草鳥越に移って興行したが,93年の焼失後再建できず,かつ 95年に 13世中村勘三郎が没して中村座の名は名実ともに消滅した。



via I love Nihonbashi
Your own website,
Ameba Ownd

中村座(江戸三座) 葺屋町芝居町跡・日本橋人形町


江戸の芝居小屋は、寛永元年に山城の狂言師で京で猿若舞を創始した猿若勘三郎が、中橋南地(なかばしなんち、現在の京橋のあたり)に櫓をあげたのにはじまる。これが猿若座(さるわかざ)である。ところがこの地が御城に近く、櫓で打つ人寄せ太鼓が旗本の登城を知らせる太鼓と紛らわしいということで、寛永9年には北東に八町ほど離れた禰宜町(ねぎまち、現在の日本橋堀留町2丁目)へ移転、さらに慶安4年にはそこからほど近い堺町(さかいちょう、現在の日本橋人形町3丁目)へ移転した。その際、座の名称を座元の名字である中村に合せて中村座(なかむらざ)と改称している。


歌舞伎劇場の名。江戸三座のうち最も古く由緒をもつ劇場。1世猿若勘三郎が寛永1 年2月江戸中橋に劇場を建設して猿若座と称したのが最初で,のち本姓の中村を取って中村座と称した。同9年禰宜 (ねぎ) 町に,次いで慶安4 年上堺町 (堺町) に移って栄えたが,天保 13年天保の改革で3座ともに猿若町に移転を命じられた。明治以後は衰運に傾き,都座,猿若座と改称,1884年浅草鳥越に移って興行したが,93年の焼失後再建できず,かつ 95年に 13世中村勘三郎が没して中村座の名は名実ともに消滅した。



via I love Nihonbashi
Your own website,
Ameba Ownd