私は毒親育ちです。

私の家は、子どもの人権がなかったと思います。

子どもらしい感情を出すことができず、我慢や苦痛の連続でした。


今思うと、心理的虐待、精神的な意味でのヤングケアラーだったと思いますが、それに気付くまでに随分と時間がかかりました。


わかりやすい暴力があれば、私はどこかで保護してもらえるだろうかと考えたこともありました。

私が子どもの頃は、まだ毒親なんて言葉もなく、それとなく友人などに親のことを話しても、


みんなそんなもんだよ〜

親ってそういうところあるよね〜


と言われることが多く、私の我慢が足りないのかと随分悩みました。そして、大人になってからも、親を許せない自分の心の狭さに苦しみました。

でも、毒親という言葉が一般的になってきて、とても救われました。


親が嫌だったと言っていいんだ。

無力な子どもであった私は、救われるべき存在だったんだ、と。


ただ、この言葉に出会ってからも、苦しい時期は続きます。正直、今だって完璧に乗り越えたわけではなくて、きっとずっとどこかで苦しみは抱えていかなくてはならないと思います。


でも、そんなときに様々な体験談と出会うことで、考え方を変えることができ、以前よりずっと明るく生きられるようになったのも事実です。

だから、大したことはできないけれど、同じように苦しんでいる方に自分の話を届けられたら少しでも気持ちが楽になる人がいるかもしれないと思っています。


親や家族との問題は本当に複雑で、素晴らしい家庭で育った人には理解されず、当事者は苦しみを抱えやすいと感じます。

それはさっき述べたように、家族を恨むことをしきれず、自分を責めてしまうという二次障害のような側面があるからな気がします。


私も許そうとずっと思ってきました。

そして、許している部分も確かにあります。努力しました。許すことでしか、自分を救うことができないと思っていたからです。


でも、それだけで良いのか?

最近また疑問がわいてきました。


私は家族のためと思ってずっと自分の感情を押し殺してきた。

それで私は本当に救われた?

いや、ずっと今も苦しんでいるし、何なら私が我慢するから、周りはそれに甘えてくるのではないだろうか。

嫌なことは嫌だと言って、自分を大切にしないと、まだ苦しみは続くのではないだろうか。

そう思ったのです。


私は、自分の育った環境のせいで、

NOと言うこと

怒ったり悲しんだりというマイナスの感情を出すこと

がとても苦手です。

そのせいで、軽んじられることが多々ありました。


それを終わりにしたい。

私の尊厳は、私が自分で取り戻す。

そう決めました。