わたしは今年で、四半世紀を生き延びてきたことになりますが、この短い期間(わたし個人的にはものすごく長かった)で「生きてて良かった」と思えたときが二回ありました。
一回目は、二子玉川にあるカフェで瓶に入ったフォンダンショコラを口にしたとき。
二回目が、フラメンコのショーに出させてもらえる機会があったのですがその舞台で、お客様からのoleを聞けたとき。


小学生のときにはクラシックバレエ、高校生のときにはストリートダンスwを経験してきたわたしにとって、踊ることというのは今まで、すごく好きなんだけどちょっと得意なだけのものでした。

すごく好きなのになんで、すごく得意なものにしようとしないのか?

それは、すごく好きなだけに嫌われるのが怖かったから。ちょっと練習してみてもし上手くできなかったら、イコール「踊りに嫌われている」という認識になるのでした。
なのでチョチョイ( つ^ω^ )つ と小手先でやる踊り(例えばケーポップアイドルのフリのモノマネとか)は、上手いも下手も関係なく楽しめるし、気軽に取り組めて好きでした。

一言で言えば逃げでした。

ただ、わたしという人生の、最初の四半世紀を終えようとしている今、これまでの色んな経験や繋がりやそれに伴った情緒が作用しているせいか、心が多少タフになってきたみたいです。
たとえ上手く踊れなくても、上手く踊ることの出来ない程度の練習しかしてないし、って思えるようになって、知らず地道に練習を積み重ねられるようになりました。


きっとこれまで努力を継続してきた方にとってはごくごく当たり前のことでしょうから、書くのが恥ずかしいくらいなんですが、ここは備忘の為にもあえて明記したいです。

「続けていると何かしらの変化が現れる」

それは分かりやすいところでは技術の向上というところですが、それより面白いのは、心境の変化。

あ、去年のわたしじゃ出来なかったこと、気がついたら今年のわたしは出来るようになってるやん。
こういった嬉しい気づきが何度も、しかも頻繁にやってくると、ハードルをもうふた穴分くらい上げても今のわたしならいけるんじゃないの?!挑戦してみたい。
こんな風に思えるようになるのです。

近頃わたしの心の中を侵食してくるワードがあります。それは、「踊れる幸せ」。

パァーッ!と来るときもあれば、
じんわ〜っと来るときもあります。

この三回目の「生きてて良かった」を、多少断続的になってでもいいからとにかく、時が経っても色褪せないように大事に見守っていきたいのです。

今は一切名の知れない、いちフラメンコ踊り手ですが、尊敬する先生のきれいな舞台作りに貢献できる踊り手になれるように、目の前のことを楽しんでこなしていきたいです。


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すとろべりーべりーまっち。
わたしがフラペチーノを頼む時ってたいがい、店員さんがホイップ出すあのミニボンベをバ、バシューッ‼︎て言わせるんです。