体と心を2極化して考察すると
物を手放す事が好きなのに
感情を分析して蓄積してしまう
消化してアウトプットする事が苦手
そして排泄 出していく 表現をする
排便
これは副交感神経が関係している
リラックスしたりすると
副交感神経が働く
表現をする時 緊張する方は
交感神経優位になってしまう。
食べたものを消化して排泄してしまうこれは
身体の機能です。
感情の機能も同じようなカラクリですよね。
子供を育てていた頃は
排便を 体調の判断材料にしていた頃があります。
ちょいと楽しい
親子の会話は
トイレから出てきて
ものの大きさを表すのは
1本ロマンスカー級とか
2本新幹線級とか
匂いに至っては
リアルなものをたとえたり、、
子供はそのままを表現してくれたので
私はその物を後で見ると
形が変わって見えてしまって🤣
楽しい子育ての時期を思い出します。
家庭を作ってからは
家族で排便を共有する会話がある
習慣を子育てに使っている
では
もう少し潜在意識の奥に入ってみましょう。
ではなぜ
娘にそのような事をしたのか?
それは当時表現方法に困って
生きてきたと言う事だったんだと理解しています。
人は持っていないものは
手放せません
もともとにあるいは
外に出す
と言う事を
やめてしまわないといけなかったのか?
知らないか?
ある時期から無くしてしまったのか?
はたまた
徐々に蓄積してしまう事を
覚えてしまったと言う習慣
その蓄積は
沢山の現象として現れるのが自然ですが
排泄する事に特化出来ない危機から
子育てに彩りを与えていた訳です。
子供は8〜9歳頃までは
無意識の膜が開いていますので
母子一体化してしまう
いい意味で排泄や自己表現を
健康のバロメーターにする教育を
やっていたのは
自分の危機管理からだった訳ですが
排便に意識を向けすぎる為
排便をストップしてしまう
最近のSNSに至っては自由に書いて
非難されたらどうしよう、、、
過剰防衛で攻撃的な事を書いてしまう。
などなど、、
アウトプットを排泄と考えた時
便秘の原因は自由に表現できない環境
と言うことになります。
自分を変える事も時には必要ですが
自由に表現できる場所の確保は必須です。
それを
自分の中でやってのける才能が
誰にでもあるんでは無いかと
そこが不具合を起こすと
何らかの問題が起きてしまう。
体と感情を
月と太陽のように考えた場合
新しい発想が湧いてくるような気がする
今日は投げかけの
完結性のない文章です。
59歳から93歳までの女性たちの集まり蓮華会
地元のご住職さんがボランティアで来てくれて難しい仏教の書籍を解説しながらお話をしてくれる会です。
昨日は1日休んだのでぎっくり腰は良くなったのですがまだ座るのはきついので痛み止めを飲んでの参加。
約1時間半でしたかとても素晴らしいお話を聞くことができました。
高田好胤「観音経」法話より
12縁起の観察のお話しと
惑業苦の三道展転(ちんでん)のおはなしでした。
私は夫と再婚して今住んでいる場所は私の子供とは関係のない夫の両親夫の子供夫の孫と一緒に生活をすると言うなんとも悲しい日々を送っています。
私の子供たちはそれぞれ結婚して孫が生まれて1段落したので断腸の思いでこちらに引っ越してきました。
そしてこの世に生まれてきた意味を探るかのように夫の子供たち孫たちを自分の子供だと思い孫だと思い生活しております。
こんな気持ちは誰にも分かってもらえないそんなふうにいつも考えておりました。
しかし夫の両親は優しく夫の子どもたちも私に愛をくれます。
孫に至っては、触覚で判断しているだけですが、私の辛い気持ちをいたわってくれるようにそばに来てくれます。
本当に感謝しています。
そんな気持ちを察したかのような法話
今日のお話はとても新鮮でした。
ご住職さんは弟子をとったそうです。
このお寺に血族ではないそんな中ご住職として勤めていらっしゃるそうです。
「僕はこのお寺の住職と言う立場を継承するためにきました。そしてこの弟子にあたってはお大師様の弟子だと思って一人前になってもらうために支える覚悟でございます。
また血のつながった家族ではないそこに嫁として姑としてはいられた方がもしいるとしたらそれもその立場を継承するそういった尊い任務を受けた方です。」
その話を聞いて私はなんと心の狭い人間だったのかと思いました。
自分の血の繋がった子供たちを置いて夫の子供たちに尽くす。
これは自分の子供孫達ににとってはひどい母親祖母なんだろうなといつも思いながら申し訳ない気持ちで暮らしていましたがそんな気持ちを一掃してしまうほどのありがたいお言葉でした。
※無意識の中にこそ真実の意識があるという事、ですから親は子供の気持ちの中に、親の姿を持ってその真実の意識を育てておかねばならない。(文中より)
私は形は親や祖母として生きてきましたが、ここに欠けている無意識の領域にある覚悟が足りなかったと自覚したのでした。
#高田好胤
#観音経

