保護者代行サービス9 | 昔話しですが、Los Angelesに住んでました。今はだいたい日本に居ます。やっぱりほぼ日本に居ませんw

昔話しですが、Los Angelesに住んでました。今はだいたい日本に居ます。やっぱりほぼ日本に居ませんw

最初にアメリカに行ったのは1989年頃から10年位住んでました。

もう20年位まえに帰ってきてるんだけど、あまり話した事がないんで書いてみようと思う。

思い出した順に書くので時系列はバラバラで、記憶を頼りに書いてるので、体験記ではあるけど正確さには欠けます。

ホテルのロビーで会った瞬間に嫌な予感はしていた。

 

 

 

髪の毛も茶色く顔もかなり黒い女子高生と、絶対に娘と共有していると思われる服装のお母さん。

 

 

 

なにやらアパートの希望を話しだしていたが、どうやら社長とオレで探し出してきて契約も済ませてくれとの事。

 

 

 

社長が再度説明するが、「日本でした契約内容と違う。」と言いだすお母さん。

 

 

 

そんなはずは無いと言うと「じゃあいくら払えばいいんですか!?」って聞いてくるが、社長は「そんなサービスは行っていない」との内容を非常に丁寧に説明。

 

 

 

その後の説明や生活にあたっての注意事項等も聞いていたかどうかは分からないが、とりあえずその日は引き揚げた。

 

 

 

その翌日だったと思うが、日本にいる父親から抗議の電話があり、契約内容を再度説明することになった。

 

 

 

母親から受けていた説明と随分違う事に驚いていたので、日本のオフィスから契約書のコピーとサービス内容の書いてあるパンフレットを送る事でその場は電話を切った。

 

 

 

そして数日後、お母さんの方から「アパートが決まった」と連絡があった。

 

 

 

社長の車で二人で行って、オレはアパートには入らず何か別の用事をたして、その後にアパートの前で社長をピックアップした覚えがある。

 

 

 

社長をピックアップした際に、アパートのバルコニーから母親が手を振っていたのを覚えている。

 

 

 

外見も豪華なそのアパートから出てきた社長は完全に呆れかえっていた。

 

 

 

どうやらこのお母さん、一緒に住むつもりらしい。。。。。

 

 

続く
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