論文の前座としての思考過程メモ。
人が外部や、セミパブリック的なスペースに出る意味とは。
やはり、外部的な環境に五感を通じて、多様な情報を脳に触れさせることである。
それはリフレッシュとして利用したり、いろいろな意味を持つが、人がある一定の環境下にいないで、そのような空間に移動する意味はここにあるのではないか。
現代の技術ではITが存在しているため、作業等のつかの間の休息にネットに触れたり、ネットを常にし続けるという行為が成立するのは、そこに多様な形而上的な空間が存在しているからである。
その形而上的な空間に淘汰された、人々が往々にして存在していることに危機感をつのらせなければならないが、建築計画上、この点についての『操作』は極めて困難を極める。
しかしながら、意識的に論述することに意味はあるが、建築的な操作(形而下)の空間は3次元的に思考すればする程、3次元のヴォリュームの組み合わせになりやすい。
しかし、一定の量を超えた瞬間に、それは面的な操作になる。(この面的操作を助太刀するのが、ヴォイドを空けることであるが)しかしながら、現代の技術力がこの面的操作どころか、立体的な操作を支援する傾向があるため、ここで取るべき、建築設計手法とは何を目指すべきかが問題となる。