「遺族」
当たり前なんだけど、私って遺族なんだ。
再認識。
「家族」だったのになあ。
まず、家族紹介。基本的に全員がおしゃべりでうるさい家族。
父
数年前に56歳で他界。医療職。フルマラソンを20年近くやってた。性格は冗談好きで人をいじるのが好き。せっかち。口は悪いけど面倒見がいい。仕事はバリバリやってて、職場の中でも結構できる人だったと思う。
母
専業主婦。父と同い年で小学校からの幼なじみ。かなり心配性。
私
医療職のアラサー主婦。育休中。性格は父譲りの負けん気の強さと口も達者でけんかになると厄介者だと自覚あり。泣き虫。当時夫が単身赴任していたため、1歳半の娘とともに実家に住んでた。
弟
就職したての会社員。遠方の大学を卒業し、地元企業に就職のため帰ってきて、慣れるまでの1年間だけ実家に住んでいた。性格は、気が強い姉がいるせいか、優しく気遣いができるが、怒ると口が悪い。婚約中。
わんこ
13歳のおばあちゃん。13歳とは思えないほど元気で甘えん坊。母にべったりだった。
そんな4人と1匹で楽しくうるさく暮らしてた。あの日まで。今考えるととっても幸せだったなあ。記憶もキラキラしてる。
『最近腰が痛いんだよね。もうお父さんも年齢には敵わないな』
始まりはそんな父の一言。腰痛なんて50代後半にさしかかると珍しくない症状。
フルマラソンを20年近くずっとやってた。健康には自信があったはず。体型も肥満でも痩せ型でもなく誰がどうみても健康的。
腰痛を訴え始めて3ヶ月。整形外科を何度か受診して痛み止めをもらってた。
父は普段通り毎朝仕事には行ってたし、普段通り仕事もこなしてた。
でも、家では目に見えて横になる時間が増えた。
そして食事の量も減った。『なんか美味しくないんだよね、お母さんの腕落ちたかな?』なんて笑って冗談言ってたけど明らかに痩せてきた。
「ねえ、もしかして腰椎ヘルニアだったりして。」
知人の一言で、腰椎ヘルニアの手術で有名な医師のいる病院を受診した。
朝は仕事して、午後受診して2,3時間ほどして帰ってきた。
帰ってきた父の表情、あの場面は鮮明に覚えていて忘れられない。
『お父さん癌だって。』
冗談好きな父。私と母は笑って言った。
ねえー変な冗談やめてよ、大丈夫だったでしょう?腰が痛いなんておじさんだからでしょ?
依然として真顔な父。
『いや、嘘じゃない。骨転移だって。』
え?
私も母もさすがに笑顔が消えた。
治るよね?
『いや、厳しいと思う。』
え?
目の前真っ暗、頭真っ白とはこのことか。いま何が起きてるんだろう。
うちの家族3人も揃って無言な時間がこんなにあったことがかつてあっただろうか。いやないと思う。
『でもどこの癌なのかわからないからその検査する予定。治療はその後だってさ。』
検査はいつ?
『2週間後。1番早い日程でそこしかあいてなかった。』
え、それで大丈夫なの?遅くない?
『大丈夫じゃん。』
えー早く治療できたらいいけど。怖いね。
『ま、大丈夫でしょ。』
今考えると、ぜんぜん大丈夫じゃないことほんとは父はわかってた。
だって父が勤めてたのは大学病院で、生理検査室にいて、たくさんの重い症例を診てきてた。きっと検査結果だって、血液検査結果のコピーを持ってたから担当医(研修医だった)よりももっと深刻さを理解していたと思う。
しかも翌日からすぐに病休。責任感の強い父がすぐ休むなんて考えられなかったのに。
なんでその時は気づかなかったんだろう。父自身も不安だったはずなのになんで寄り添えなかったんだろう。
父は自分のことよりも、母と私に心配かけないように大丈夫だと言ったんだ。
でも、その日から明らかにボーッと過ごす時間が増えた。ご飯も食べずに。あんなにおしゃべりな父が話さなくなった。無気力に1日1日を過ごしているようだった。
以前は孫をすごくかわいがり、しつこいほどに遊んでいたのが、この頃は1歳の娘がつたないおしゃべりで「じぃじ、じぃじ」と言っても力なく笑いかけるだけだった。
私は父のそんな姿を見て鬱を疑った。でも状況が状況なだけに、どうしていいかわからず、とりあえず検査が終わって次の診察の時に一緒に行って直接医師に相談しようと思った。
当たり前なんだけど、私って遺族なんだ。
再認識。
「家族」だったのになあ。
まず、家族紹介。基本的に全員がおしゃべりでうるさい家族。
父
数年前に56歳で他界。医療職。フルマラソンを20年近くやってた。性格は冗談好きで人をいじるのが好き。せっかち。口は悪いけど面倒見がいい。仕事はバリバリやってて、職場の中でも結構できる人だったと思う。
母
専業主婦。父と同い年で小学校からの幼なじみ。かなり心配性。
私
医療職のアラサー主婦。育休中。性格は父譲りの負けん気の強さと口も達者でけんかになると厄介者だと自覚あり。泣き虫。当時夫が単身赴任していたため、1歳半の娘とともに実家に住んでた。
弟
就職したての会社員。遠方の大学を卒業し、地元企業に就職のため帰ってきて、慣れるまでの1年間だけ実家に住んでいた。性格は、気が強い姉がいるせいか、優しく気遣いができるが、怒ると口が悪い。婚約中。
わんこ
13歳のおばあちゃん。13歳とは思えないほど元気で甘えん坊。母にべったりだった。
そんな4人と1匹で楽しくうるさく暮らしてた。あの日まで。今考えるととっても幸せだったなあ。記憶もキラキラしてる。
『最近腰が痛いんだよね。もうお父さんも年齢には敵わないな』
始まりはそんな父の一言。腰痛なんて50代後半にさしかかると珍しくない症状。
フルマラソンを20年近くずっとやってた。健康には自信があったはず。体型も肥満でも痩せ型でもなく誰がどうみても健康的。
腰痛を訴え始めて3ヶ月。整形外科を何度か受診して痛み止めをもらってた。
父は普段通り毎朝仕事には行ってたし、普段通り仕事もこなしてた。
でも、家では目に見えて横になる時間が増えた。
そして食事の量も減った。『なんか美味しくないんだよね、お母さんの腕落ちたかな?』なんて笑って冗談言ってたけど明らかに痩せてきた。
「ねえ、もしかして腰椎ヘルニアだったりして。」
知人の一言で、腰椎ヘルニアの手術で有名な医師のいる病院を受診した。
朝は仕事して、午後受診して2,3時間ほどして帰ってきた。
帰ってきた父の表情、あの場面は鮮明に覚えていて忘れられない。
『お父さん癌だって。』
冗談好きな父。私と母は笑って言った。
ねえー変な冗談やめてよ、大丈夫だったでしょう?腰が痛いなんておじさんだからでしょ?
依然として真顔な父。
『いや、嘘じゃない。骨転移だって。』
え?
私も母もさすがに笑顔が消えた。
治るよね?
『いや、厳しいと思う。』
え?
目の前真っ暗、頭真っ白とはこのことか。いま何が起きてるんだろう。
うちの家族3人も揃って無言な時間がこんなにあったことがかつてあっただろうか。いやないと思う。
『でもどこの癌なのかわからないからその検査する予定。治療はその後だってさ。』
検査はいつ?
『2週間後。1番早い日程でそこしかあいてなかった。』
え、それで大丈夫なの?遅くない?
『大丈夫じゃん。』
えー早く治療できたらいいけど。怖いね。
『ま、大丈夫でしょ。』
今考えると、ぜんぜん大丈夫じゃないことほんとは父はわかってた。
だって父が勤めてたのは大学病院で、生理検査室にいて、たくさんの重い症例を診てきてた。きっと検査結果だって、血液検査結果のコピーを持ってたから担当医(研修医だった)よりももっと深刻さを理解していたと思う。
しかも翌日からすぐに病休。責任感の強い父がすぐ休むなんて考えられなかったのに。
なんでその時は気づかなかったんだろう。父自身も不安だったはずなのになんで寄り添えなかったんだろう。
父は自分のことよりも、母と私に心配かけないように大丈夫だと言ったんだ。
でも、その日から明らかにボーッと過ごす時間が増えた。ご飯も食べずに。あんなにおしゃべりな父が話さなくなった。無気力に1日1日を過ごしているようだった。
以前は孫をすごくかわいがり、しつこいほどに遊んでいたのが、この頃は1歳の娘がつたないおしゃべりで「じぃじ、じぃじ」と言っても力なく笑いかけるだけだった。
私は父のそんな姿を見て鬱を疑った。でも状況が状況なだけに、どうしていいかわからず、とりあえず検査が終わって次の診察の時に一緒に行って直接医師に相談しようと思った。