建築戦国時代
個人的な意見が多くなると思いますが、ぜひそれに対してコメントいただければとおもいます( ´艸`)
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現実な空気

インドから帰国して、そろそろ1ヶ月。
まだ、そんなにたってないか。
事務所に通い始めて、1日を思いっきり使えてる気がする。
ま、学校にはなかなか行けてませんが。

建築の出来ていく過程を目の当たりにして、当然のことだろうけど、自分の課題に対する姿勢が恥ずかしかった。
だから今の課題は、いつも以上にと言うか、かけずり回ってやれてます。
情報の収集、分析、提案。
天工人の山下さんのお言葉。
情報の収集は、その土地のリアルな今であって、それには私的感情が入ることはない。
分析の部分で、自分というフィルターを通して行くわけです。
ここで、私的な思想をクライアントに証明していく準備をするんだな。
最後に提案。
この3つのステップは、オランダ人が得意だそうだ(西沢立衛の"建築の話をしよう"より)

MVRDVもそうだ…松代の雪国なんちゃらセンターは凄かったけど。
大自然の中にあるから、そのパワーが強いんだけど、その中に溶けこむわけでなく、しっかり建築として自立していた感じを受けたな。

自分のフィルターを通した結果、なにか武骨な感じになりつつある。
"透明"とか"溶けていく"の分野とは一線を引いている感じ。
ちょっと考えてみると、インドで見たスケールの大きさや荒らさを受けてる気がします。
でもインドのままじゃ理解されないから、自分のフィルターを通してます。
線とか面が強く出てる。
いや、強く見せたいんだな。
目の前に丹下さんの体育館だもん。
仮想ですが…越えたいですね。

『生きるために〇〇』

帰国してから、もう5日たちます。


はじめて海外へ出るにあたってどれくらいの人が、インドを選択されるでしょうか?

はっきりいって、親には止められましたw

でもなんか行きたかったんですよね…。

別に、友達がインドにいるわけでもなく、インドに行った話を聞いたわけでもなく。

根拠は特になく…本能的に?w

大学生になってから、自分の行動の責任は自分でとる、というか自分のケツは自分で拭くようにしてから本能的に動くことが多くなってきた気がします。


まぁそれはさておき、インドの熱いバイタリティというか『生きるために○○』という生き方を感じました。

生きるためにぼったり、生きるために物乞いをしたり、生きるために商売したり。

なにかこう、日本では忘れてしまっているような生きることについて教えられた気がしました。


インドのエローラには巨大な石窟群がありますが、これらはすべてノミとトンカチで彫られているというから驚き。

この時代のインドの平均寿命が30歳で、出来上がるまでにかかった時間が一世紀以上。

おじいちゃんから、孫までかかる偉業。

朝から日が沈むまで、生きるために彫られていた。

人間のエネルギーの偉大さと、それによってで出来上がった石窟のもつオーラ。

ここに立ってみると、自分の中で消化されなかった考えなどどうでもよくなってしますような…。

はたして、自分はこれを彫っていた人たちに胸を張って『今生きている』と言えるのか?

なんて考えました。


建築で生きていく。生きるために建築をする。


この言葉には非常に語弊があるかもしれない。

今の建築が置かれている危機的状況。

その中で、自分の生きるための建築をやっていきたいということです。


やっぱりインドは正解だったな。