勉強ができるって

本当に素晴らしいことなの。


勉強って最初は霧に囲まれてるように

感じるかもしれない。


確かに全部が役に立つことじゃないと思う

大人になっても結局必要ないことも多いかもしれない


でも、そのよく分からないものの中にはきっと

どうしようもないくらい楽しいものが沢山ある


そして、それは


一生懸命やってみなきゃ見つけられないの。


なんでもいいから

一生懸命頑張ってごらん


選ばないで

闇雲でいいから

目の前にあるものに

ただただ一生懸命に取り組んでみて


一つ一つ

一生懸命に積み重ねて。


そしていつか

やりたい事が出来た時に

後ろを振り返ってみるの。


そこにはきっと

どこまでも見渡せる世界が広がっているはず。


そして、そこには沢山の道があって

勉強が出来れば、

きっと自分の足でどこまでも進んでいけるから。


そう! 

誰でもどんなものにもなれるんだよ。





すごい大事なことだと思うので一人でも多くの人の目に届くように引用しておきます



【いのちをいただく】

最近、子供に言われたことがあります。

「先生?なんでいつも『いただきます』と『ごちそうさま』を言う時、目を閉じてるの?」
  
  
その答えは、私が経験したことで、私の考えが変わったからです。
  
  

教員の仕事をする前、

私は、ボランティアで世界一周をしていました。

  
  
世界中を旅をしていた時、よく「食べること」に対して
真剣に考えることがありました。

  
  
  
  
カンボジアの子供達と接して。
フィリピンの家庭料理に触れて。
インドの子供達のお弁当を見て。
インドとモロッコでニワトリが肉に変わる瞬間を見て。
ヤギと牛を絞める場面に遭遇して。

  
普段私たちは  
頭では分かっているけど心でわかっていないことがあります。

  
  
「私たちは他の《生》の犠牲がないと生きていけない」という事実。

モロッコでは、生きたニワトリをまるごと調理しました。
1分前まで生きていたニワトリが、首を切られ、羽をむしられ
内臓を出され、みなさんがよく知るチキンになって出てくる。

まだ暖かい生肉。
忘れられないニワトリの最後の叫び声。

イスラムのクリスマスに、目の前でヤギを絞め、肉にしたものを食べました。
嫌がるヤギ、毛を刈られるヤギ、首を切られ、切られていく姿。

それを目の当たりにしました。
  

「私たちは他の《生》の犠牲がないと生きていけない」

五感をフルに刺激されました。

だからこそ、教員になった今でも伝えたいことがあります。
  
  
  

【いのちをいただくということ】

「いただきます」って言葉は
日本ならではの言葉なんだそうです。

  
だから、
この言葉を知らない外国の人は、
「いただきますって何?」

と聞いてきます。

   
  
  
もしも
みなさんが子どもたちに、
「なんで食べる前に『いただきます』って言わなきゃいけないの?」

って聞かれたとしたら、どう答えますか?

  
  
  
  
  

みなさんは、
「命をいただく動植物、食料を生産してくれた人、そして調理してくれた人に感謝するためなんだよ」

って答えますか??

  
  
  

子どもたちにその話をして、どれくらいの子どもたちが
心から納得するでしょうか?

  
  

子どもたちはおそらく、
似たようなことを
何回も聞いているはずなんです。

  
  
  
  
でも、それが多くの子どもたちの心に響いていないのではないでしょうか。

 

  
  
頭ではわかっているけど、心でわかっていない状態。
中学校で動物と植物の違いに
ついて学習します。

動物と植物の一番の違いは何か?

それは

  
  
「動物は、食べるために動かなければならない。」
「植物は、食べる必要がないので動かなくていい。」

   
です。

  
植物は動けないじゃないんです。
動かなくていいんです。

  
なぜか?
生きていくための栄養を、自分の力で作り出すことができるからです。

  
  
  
私たち動物にはそれができません。
だから、
どうしても他の生き物を「食べる」必要がある。

   
  

私たちがそうであるように、
動物だろうが植物だろうが
自分の命があるかぎり精いっぱい生き続けたい!
そう思っているんだと思います。

   
  
私たち動物は、
そんな一生懸命生きている他の生き物の「いのち」を
奪わなければ、生きていくことができない生き物なんです。

  
  

このことをどうやって子供達に伝えていくか
どう心に落とし込めるか。
重要じゃないかなと思います。

  
  
  
  

以下、心に残ったブログ記事がありましたので、良かったら目を通していただきたいです。

一つは、
九州大学大学院助教授の
佐藤剛史先生が書いた、

「自炊男子~
 『人生で大切なこと』が見つかる物語」

 の中に出てくるお話です。

「いただきます」「ごちそうさま」を
なぜ言わなければならないか
分かりますか?

「いただきます」の意味の一つは、
「作ってくれた人の命をいただく」
ということです。

命とは時間です。

ある人が80歳で
亡くなったとしましょう。

ということは、
80年間という時間が、
その人の命だということです。

今朝、みなさんのお母さんは、
30分かけて朝ご飯を作りました。

今日の夕食、お母さんは、
1時間かけて夕ご飯を作ります。

その朝ご飯には
お母さんの30分ぶんの命、
夕ご飯には
1時間分の命が
込められているのです。

みなさんが生まれてから
今日までの間、
お母さん、お父さんは、
自分の命の時間を使って、
みなさんを食べさせてきたのです。

そして、
これから親元を離れるまで、
ずっと、みなさんは、
お母さん、お父さんの
命の時間を食べていくわけです。

「いただきます」の意味の一つは、
「作ってくれた人の命をいただく」
ということです。

食べ物を粗末にすることは、
作ってくれた人の命を
粗末にすることです。

心を込めて、
「いただきます」「ごちそうさま」
を言いましょう。

食べ物を作ってくれた人に
感謝の気持ちを
忘れないようにしましょう。

  
  
  
  
-------------------
そしてもう一つは、
内田産婦人科医院の
内田美智子先生が書いた、

「いのちをいただく」

という絵本のもとになったお話です。

坂本さんは、
食肉加工センターに勤めています。

牛を殺して、
お肉にする仕事です。

坂本さんは
この仕事がずっといやでした。

牛を殺す人がいなければ、
牛の肉はだれも食べられません。

だから、
大切な仕事だということは
分かっています。

でも、
殺される牛と目が合うたびに、
仕事がいやになるのです。

「いつかやめよう、いつかやめよう」

と思いながら
仕事をしていました。

坂本さんの子どもは、
小学3年生です。

しのぶ君という男の子です。

ある日、小学校から
授業参観のお知らせがありました。

これまでは、
しのぶ君のお母さんが
行っていたのですが、
その日は用事があって
どうしても行けませんでした。

そこで、
坂本さんが授業参観に
行くことになりました。

いよいよ、
参観日がやってきました。

「しのぶは、ちゃんと手を挙げて
 発表できるやろうか?」

坂本さんは、
期待と少しの心配を抱きながら、
小学校の門をくぐりました。

授業参観は、
社会科の「いろんな仕事」
という授業でした。

先生が子どもたち一人一人に

「お父さん、お母さんの
 仕事を知っていますか?」

「どんな仕事ですか?」

と尋ねていました。

しのぶ君の番になりました。

坂本さんはしのぶ君に、
自分の仕事について
あまり話したことが
ありませんでした。

何と答えるのだろうと
不安に思っていると、
しのぶ君は、
小さい声で言いました。

「肉屋です。普通の肉屋です」

坂本さんは
「そうかぁ」とつぶやきました。

坂本さんが家で新聞を読んでいると、
しのぶ君が帰ってきました。

「お父さんが仕事ばせんと、
 みんなが肉ば食べれんとやね」

何で急にそんなことを
言い出すのだろうと
坂本さんが不思議に思って
聞き返すと、
しのぶ君は学校の帰り際に、
担任の先生に呼び止められて
こう言われたというのです。

「坂本、何でお父さんの仕事ば
 普通の肉屋て言うたとや?」

「ばってん、カッコわるかもん。
 一回、見たことがあるばってん、
 血のいっぱいついてから
 カッコわるかもん…」

「坂本、
 おまえのお父さんが仕事ばせんと、
 先生も、坂本も、校長先生も、
 会社の社長さんも肉ば食べれんとぞ。
 すごか仕事ぞ」

しのぶ君はそこまで一気にしゃべり、
最後に、

「お父さんの仕事はすごかとやね!」

と言いました。

その言葉を聞いて、
坂本さんはもう少し仕事を
続けようかなと思いました。

ある日、
一日の仕事を終えた坂本さんが
事務所で休んでいると、
一台のトラックが
食肉加工センターの門を
くぐってきました。

荷台には、明日、
殺される予定の牛が
積まれていました。

坂本さんが
「明日の牛ばいねぇ…」
と思って見ていると、
助手席から十歳くらいの女の子が
飛び降りてきました。

そして、
そのままトラックの荷台に
上がっていきました。

坂本さんは
「危なかねぇ…」
と思って見ていましたが、
しばらくたっても
降りてこないので、
心配になって
トラックに近づいてみました。

すると、
女の子が牛に話しかけている声が
聞こえてきました。

「みいちゃん、ごめんねぇ。
 みいちゃん、ごめんねぇ…」

「みいちゃんが肉にならんと
 お正月が来んて、
 じいちゃんの言わすけん、
 みいちゃんば売らんと
 みんなが暮らせんけん。
 ごめんねぇ。
 みいちゃん、ごめんねぇ…」

そう言いながら、
一生懸命に牛のお腹を
さすっていました。

坂本さんは
「見なきゃよかった」
と思いました。

トラックの運転席から
女の子のおじいちゃんが降りてきて、
坂本さんに頭を下げました。

「坂本さん、
 みいちゃんは、
 この子と一緒に育ちました。

 だけん、
 ずっとうちに置いとくつもりでした。

 ばってん、
 みいちゃんば売らんと、
 この子にお年玉も、
 クリスマスプレゼントも
 買ってやれんとです。

 明日は、どうぞ、
 よろしくお願いします」

坂本さんは、
「この仕事はやめよう。もうできん」
と思いました。

そして思いついたのが、
明日の仕事を休むことでした。

坂本さんは、家に帰り、
みいちゃんと女の子のことを
しのぶ君に話しました。

「お父さんは、
 みいちゃんを殺すことは
 できんけん、
 明日は仕事を休もうと思っとる…」

そう言うと、
しのぶ君は「ふ~ん…」と言って
しばらく黙った後、
テレビに目を移しました。

その夜、
いつものように坂本さんは、
しのぶ君と一緒に
お風呂に入りました。

しのぶ君は坂本さんの背中を
流しながら言いました。

「お父さん、
 やっぱりお父さんが
 してやった方がよかよ。

 心の無か人がしたら、
 牛が苦しむけん。

 お父さんがしてやんなっせ」

坂本さんは
黙って聞いていましたが、
それでも決心は
変わりませんでした。

朝、坂本さんは、
しのぶ君が小学校に出かけるのを
待っていました。

「行ってくるけん!」

元気な声と扉を開ける音がしました。

その直後、
玄関がまた開いて

「お父さん、
 今日は行かなんよ!
 わかった?」

としのぶ君が叫んでいます。

坂本さんは思わず、
「おう、わかった」と
答えてしまいました。

その声を聞くとしのぶ君は
「行ってきまーす!」
と走って学校に向かいました。

「あ~あ、子どもと約束したけん、
 行かなねぇ」とお母さん。

坂本さんは、渋い顔をしながら、
仕事へと出かけました。

会社に着いても気が重くて
しかたがありませんでした。

少し早く着いたので
みいちゃんをそっと見に行きました。

牛舎に入ると、みいちゃんは、
他の牛がするように角を下げて、
坂本さんを威嚇するような
ポーズをとりました。

坂本さんは迷いましたが、
そっと手を出すと、
最初は威嚇していたみいちゃんも、
しだいに坂本さんの手を
くんくんと嗅ぐようになりました。

坂本さんが、

「みいちゃん、ごめんよう。
 みいちゃんが肉にならんと、
 みんなが困るけん。
 ごめんよう…」

と言うと、
みいちゃんは、
坂本さんに
首をこすり付けてきました。

それから、坂本さんは、
女の子がしていたように
お腹をさすりながら、

「みいちゃん、じっとしとけよ。
 動いたら急所をはずすけん、
 そしたら余計苦しかけん、
 じっとしとけよ。じっとしとけよ」

と言い聞かせました。

牛を殺し解体する、
その時が来ました。

坂本さんが、

「じっとしとけよ、
 みいちゃんじっとしとけよ」

と言うと、
みいちゃんは、
ちょっとも動きませんでした。

その時、
みいちゃんの大きな目から
涙がこぼれ落ちてきました。

坂本さんは、
牛が泣くのを初めて見ました。

そして、
坂本さんが、
ピストルのような道具を頭に当てると、
みいちゃんは崩れるように倒れ、
少しも動くことはありませんでした。

普通は、
牛が何かを察して頭を振るので、
急所から少しずれることがよくあり、
倒れた後に大暴れするそうです。

次の日、
おじいちゃんが
食肉加工センターにやって来て、
坂本さんに
しみじみとこう言いました。

「坂本さんありがとうございました。
 昨日、あの肉は少しもらって帰って、
 みんなで食べました。

 孫は泣いて食べませんでしたが、

 『みいちゃんのおかげで
  みんなが暮らせるとぞ。
  食べてやれ。
  みいちゃんにありがとうと
  言うて食べてやらな、
  みいちゃんがかわいそうかろ?
  食べてやんなっせ。』

 って言うたら、孫は泣きながら、

 『みいちゃんいただきます。
  おいしかぁ、おいしかぁ。』

 て言うて食べました。
 ありがとうございました」

坂本さんは、
もう少しこの仕事を
続けようと思いました。
  
  
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

いかがでしたか??

食に対して、命に対して、少し考えていただけたら幸いです。

僕の知り合いで広島で不動産投資などをしてる人がいるんだから、その人が書いてるメルマガの追伸にものすごく共感できたので、引用転記しときます!

お叱りの連絡来たら削除します( ̄▽ ̄;)


ここから↓


今、うちの姪っ子2人が就活をしていますが
あいつら見ていて痛感しますね。

もはや大学って金を捨てるだけですね。

馬鹿を育てるために
親が大金払わされるだけです。

ワシはこう考えます。

前にも言ったように、
もし子供を大学に行かせるほどの余裕があるなら、
大学に行かせる代わりに、
そのお金でアパートを1棟買って持たせます。

さて、目的の無い大学4年間とアパート1棟、
どちらがその子の人生で役に立つか?
どちらが本当に必要な事を学べるでしょうか?

どちらが「今からの時代」を幸せに生きられますかね?

高校出たら大学?
それ、昭和の話ですよね。笑

昭和は大学が役に立ったんですけどね。

でももう令和ですよ。

で、自分が時代の先端に付いて行けているとか、
柔軟な思考をもってる人間だとでも思ってるんでしょうか?

家庭を見れば分かります、
生活習慣、仕事の仕方、お金の扱い方、
どれを見ても「どうせ昭和」でしょ。

で、せめて子供に受け継げるはずの「道徳」も
今の親はもう持ち合わせていないわけです。

昭和以下、って感じですね。

整理整頓、清掃、挨拶、御礼、お詫び、
こういうのも親がやっていないから
子供に身に付けさせる事も出来ません。

いや、あなたの言う事を聞いてたら
あなたみたいな人生になるって事でしょ?
そんなのゴメンです、って事じゃないんです?

あなたも私と同じように貧乏になりなさい、
って育てるのと同じですよね。

だから、そんな親が
子供の人生に偉そうに口を出さない事ですよ。

親がくだらない価値観を与えさえしなければ
子供は家の外で必要な事を学ぶんですから。

自分にとって必要な事は自分で学びます。

それを、必要も無いのに、
それが必要だと思わせて無駄な事を身に付けさせるから
その子の人生が狭まるわけでしょ。

どこの親も
「これが出来たら可能性が広がるから」とか言うけど、
ワシは、ほとんどの場合、逆に狭めてると思います。

英語なんかその典型ですね。

英語が喋れたら、
何の可能性が広がるってんですか?笑

英語が喋れなければ
決して手にする事は出来なかった素晴らしい体験?

もちろんそれは「可能性」としてはあります。

でもそれ
「英語じゃなくても何でも同じ」
です。

音楽でも良いじゃん。

音楽やってない子供には
決して体験する事が出来ない事、
感じる事が出ない事、
出会う事が無かったであろう人と出会える
「可能性」があるもんね。

それ、英語じゃなきゃダメなの?

親がただ英語に憧れてるだけでしょ・・・

うちの姪っ子、
浪人と留年をしてるので
大学を出るまでに6年かかりました。

外語大学出て、留学もしてるので
日常会話ぐらいは英語喋れるし
語学として学んでるので読み書きもバッチリです。

で、今、
「英語なんて微塵も関係無い就職先」しか
面接がありません。

この子に一体、何の可能性が生まれたんですか?

さて、6年前に、
大学に行く代わりにアパートを1棟買い与えていたら
あの子は今頃どんな人生を歩んでいたでしょうか。

学校で勉強なんてしなくても
アパートから発生する収益を使って
留学したり、世界を旅行して回ったりして
英語を身に付ける事だって出来たはずです。

自分より2年先に外語大学を卒業した友達は
英語を活かしてANAに就職出来たそうです。

さて、ANAは現在?

そしてその子は
コロナで勤務が無くなり手取りが10万円を切ってしまったので
生活出来ないからANAを退職してしまったそうです。

そして、何より、その子は
「ANAに入りたくて英語を勉強したわけではない」
という事ですね。

英語の勉強をしてしまったがために
せっかく外語大学を出てしまったがために、
「それを活かした就職をしないともったいない」
と感じるわけです。

可哀想な話だと思いません?

うちの姪っ子だって
6年もかけて外語大学を卒業するというのに
英語を活かした就職先なんて今は無いんです。

英語と全く関係がない
ドラッグストアの面接に行くと、
「自分はせっかくあんなに英語を勉強したのに」って、
むしろ外語大学を出た事がセルフイメージを下げるんです。

内定がもらえた、って人に話したら
「何のために外語大学行ったの?」
って言われるわけですよ。

これが、英語なんて勉強していなければ、
高卒でドラッグストアに就職するのであれば
何の問題も無かったのに、です。

これ、誰が悪いんですか?

子供が何も知らない、何も気付かないのは当然です、
それを教えてやらなかった親が悪いんですよ。

最悪、大学に行くのは仕方無いとして、
その在学中に、労働とか人生とかお金という
本当に大事な事を教えなかった親が悪いんです。

てか普通、
大学を選ぶ時点でそれが分かってないとダメでしょ・・・

何のために大学に行くのか、
それさえ教えていないわけです。

6年間も大学に行ってる間に
卒業後にどんな人生を歩むのかを考えさせなかったからです。

ただ6年の時間が過ぎて、
ただ英語が喋れるだけの馬鹿が育ったわけです。

ただ親が、
「頑張って大学を出させた」って
自己満足をしたいだけです。

ワシはそんな親に育てられる子供って可哀想だと思いますね。

てか、
自分が幸せとか裕福でも無いクセに
子供に偉そうに言えるのが不思議でかないません。

よくいるでしょ?

お父さんは勉強が嫌いで
そのせいで良い会社に入れなかったから
お前はしっかり勉強をしなさい、とか。

いや、お前なんか
大学で勉強したとしても
どうせ同じような仕事と給料だろ、ていう。笑

給料安いとか
ロクな会社でしか働けないのは
大学出てないせいじゃないだろ・・・

とか、家計簿もつけていない母親に
お金の使い方で文句言われる子供って不幸ですよね?

自分こそお金の扱いを知らないクセに、
なんで自分の子供に偉そうに出来るわけ?ていう。

自分の子供だったら
何もかも自分の好きに出来るって思い込んでるわけです。

「この子のため」とさえ言っておけば
何したって自分が満足出来るからですよ。

結局、親が何も分かってないんです。

自分で努力して
自分の人生を切り開いていないから
努力の仕方とかその意味を教えられないんです。

勉強してたらもっと違う人生だった?

そんなわけないじゃん。笑

だったら、
大学出たヤツはみんな幸せになってないとおかしいよ?

高校しか出てなくても
いくらでも幸せな人間はいるし
たくさんお金稼ぐ人間もいるよね?

って思いません?

ワシは子供に偉そうに言える事なんて何もありません。

嘘を付くな、
自分より弱い者は助けろ、
靴を揃えろ、箸をちゃんと持て、
そういう、道徳とかマナーしか教えられません。

金が欲しければ必死こいて働け、
楽して儲けたければ勉強して投資しろ。

とまでは教えられますが、
そこからはその子次第ですよね。

それを、大学出て就職しろ、って
メチャメチャ人生を狭めてしまいます。

分からないです?

じゃあ、その上の大学院まで行ったらどうなります?

ね?どんどん人生が狭まるでしょ?

うちの子は恐らく、
「就職」なんて概念を持たずに大人になると思います。

ワシもそうでした。

母親には
せめて高校ぐらいは出ろ!と言われましたが
これはまぁ、あれです。

自分が離婚して片親で子供を育てていて
水商売をしてるという肩身の狭さだったと思いますよ。

別に、生きて行くには
高校出てる必要なんか無いんだけど、
その状況で子供が中卒なんかだったら
そりゃ世間から「やっぱりね」って言われますから。

あの時代は
「片親」ってだけでちょっと珍しかったし
「水商売」だなんて指差される事だってありましたから。

でも父親は
高校に行けなければ働け良いじゃないか?
って平気で言ったわけです。

だからワシは、
高校に行けない事は恥ではないんだ、と思えました。

中学性で何も分からないので
漠然と「高校には行かなければならないもの」
みたいに感じていましたから。

高校に行けないほど頭が悪いなんて
恥ずかしい事なんだと思っていました。

また、
働けば良い、と言われた時、
「まだ働きたくなんてない」とも思いませんでした。

そこがワシが恵まれた所であって、
つまりそう育てられて来たからだと思います。

ただ、父親には
随分抑えつけられて生きて来ました。

受験して受かった中学校を
「男子校はダメ」という理由で行かせてもらえませんでした。

北海道の学校に行きたいと言ったら
「本気なら広島で同じ勉強は出来る」
「出来ないヤツはどこに言っても出来ない」
と言われた事もありました。

ま、そういう時代だったんだし
そういう価値観の親の元に生まれたので仕方ありませんが、
今なら「確かに」と思える部分もあります。

そして、今の時代こそ
自分さえ学ぶ気があれば、場所なんて一切問わず、
あらゆる事を学び、身に付けられますよね。

自分が何をしたいか、
どういう人生を歩みたいのか。

それが元になって
「では何が必要なのか?」という事ですよね。

それを先に
「英語を身に付けたら可能性が広がる」とか
完全に順番が逆なわけです。

その子にとって
英語が必要ではない人生が目標だったら
大学で英語を学ぶ必要は無いわけです。

それが、英語を学んだばかりに
英語を使う事が目的になるっておかしいでしょ。

ただそりゃ
「英語が喋れて良かった」
なんて程度の事はあると思いますが
そんなの何だって同じですからね。

あなたはどんな人生を過ごしたいの?
どんな大人になって、どんな仕事をしたいの?

それを子供に考えさせて
もしやりたい事が見つかったら
それを可能な範囲でサポートするのが親じゃないんです?

子供が小学生の頃は
誰だって聞きますよね。

君は大きくなったら何のお仕事がしたいのかな?

どんな大人になりたい?

って。

なんでそれを
中学になっても、高校になっても聞き続けないの?
っていう。

中学上がった途端に、
「ただ勉強して大学へ行く事が目的」でしょ。

まず先に知識とスキルが必要という考えで、
「それがあったら何かが出来るかも知れない」
っていう意味の分からない思考なわけです。

ワシは、99%ぐらいの家庭において
子供の将来を邪魔する最大の原因って「親」だと思いますね。

うちの親がどうだったかを考えると
「とにかくあらゆる事に関して放任」でした。

なので、
何もしてくれなかった、とも言えるけれども、
せめて邪魔はされなかったので
これは本当に運が良かった、ありがたいと思ってます。

うちの場合、親の教育方針という事ではなくて
両親とも水商売をやっていましたから
子供の相手をする時間が無かったってのが実際だと思います。

変わりに婆ちゃんが面倒を見てくれたわけですが
婆ちゃんは戦前の人であり
しかもど田舎で育った人ですから「凄く普通の人」でした。

その時代の女性として、専業主婦として
田舎のコミュニティの一員として生きた人ですので
とにかく普通、常識的、そしてそれを孫のワシに求めました。

整理整頓、清掃、慎ましく、穏やかに、勤勉に。

爺ちゃんが商売人で、
時代や状況によって商売を変えながら
何かしらで飯を食って来たような人だったので
そのせいか「勉強しろ」と言われた事がありません。

その変わり、婆ちゃんからは
当たり前のように「屋根直してくれんか?」
「扇風機直してくれんか?」と言われましたね。

そんなの男なら出来るだろ?
というハードルがメッチャ高いと思いましたし
つまり爺ちゃんは当たり前にそんな事やってたんだな、と。

生きる力とはそういう物だよな、と。

とにかくワシは運が良いことに、
勉強をする意味、必要性、
こういうのを周りから言われた事が無いわけです。

困った時には助けてもらえるけど、
何もかも自分で考えて選んで良かったので
多分ワシはその辺の子より凄く自由に育ったんじゃないでしょうか。

だから、高校受験の時こそ
母親に「高校だけは行け!」とは言われましたが、
それ以外で親に何かを相談した事がないんです。

小学生の時、雑誌で、北海道にある学校なら
コンピューターの勉強が出来る事を知って
中学は北海道に行かせてほしいと親に頼みました。

でもダメだと言われたので、
だったらせめて器械体操をしたかったので
自分で調べて中学校を受験しました。

高校を出る時も
一応付属大学に行く事を考えていたり、
結局専門学校へ行く事になった時なんかも
親に相談なんかした事はありません。

親からも
「進路はどうするのか?」とか
「就職するのか?」とか
1回も聞かれた事がないですね。

唯一、お金の問題があるので
「進学するならいくら必要になるのかだけ早く言え」
とは言われましたが、進路について
親が何か意見をした事は無かったです。

私はこうだったから、とか、
私はこう思うよ、なんて一言さえありませんでした。

自分の人生なんだから自分の好きにしろ、
お金だけは、出来る所までは出してやるから、
という感じですね。

専門学校を退学する時も、
その後しばらくバイトでブラブラ遊んでる時も、
水商売を始める時も、自分で決めるのが当たり前というか
「親にそれを相談するなんていう概念自体が無い」という状態です。

で、大人になってもみんな
子供の頃のクセが抜けないんですよ。

だからほとんどの家庭で、
旦那さんが転職する時、奥さんに相談しますよね?

あれ、ワシには意味が分からないんです。

何の仕事をするか、
なんで奥さんの意見を聞かなきゃならないんです?

何の仕事になろうが
働いて、必要なお金を稼いで帰って来りゃ良くないです?

まして、ほんと腹抱えて笑いますけど、
「嫁さんの親御さんにまで相談」なんてヤツもいますよね?笑

そんなん、完全に子供じゃん。笑

自分の人生を自分で決められない、責任取れない、
人の望む人生を生きて我慢する。

何のために生きてんの?っていう。

家族のため?子供のため?

違うでしょ、
単に自分のためでしょ。

で、そんな生き方をしてると
「自分の子供もそうなるよ?」
って事でしょ?

自分がもし大学を出ていないせいで
今そんな人生になってるんだとしましょうか。

でもそれ、
大学を出てないせいじゃないからね。

でも、それを理由にしたいわけよ。

だから自分の子供には
「お前は大学に行きなさい」とか言い始めるわけ。

で、大学を出た親の場合は
それが当然だと思ってる、それが最低限と思ってる。

今自分はこんな人生を送ってるけど
「せめて大学を出てるから良かった」って思ったら、
子供には「せめて大学を出ておきなさい」ってなる。

だから、どんな親だって
大学に行かせたがるんです。

自分の人生を基準に子供を育てるんです。

自分の知識と経験と価値観を
子供に押しつけてるだけです。

立派な親の子供は
立派になる可能性が高いのは当然ですよね?

立派に育つような価値観を与えて育てるんだから。

ま、そこからボンクラが生まれる事だってあるけど
それは結構可能性低いわけです。

で、ダメな親からでも
稀に、立派な子って生まれますよね。

あれは、ダメな親が
自分がダメな事を理解して
「子供に余計な価値観を与えなかったから」
だと思います。

まぁ、自分の子供ですから
その親の責任でどう育てようと勝手だと思いますが、
ワシは、親が一番の障害というのは間違い無いと思っているので
ワシは絶対に、自分の子に余計な事は教えません。

先に余計な知識や価値観を与えると
それを基準に物を考え始めますからね。

子供は純粋だからこそ
余計な事を教えてはならんと思います。

例えば、多くの家庭では
お父さんは会社で働いて給料をもらう、わけですけど、
「それを当たり前の事として教えるのは間違い」ですよね。

お父さんはこういう働き方をしているけど
こんな働き方もあるし、働かない人だっているし、
そもそも働くって何なんだろうね?

という事を考えさせなければならんと思っています。

なのでうちの子なんかは
「会社で働くと毎月給料が同じ」とか
「頑張っても給料は変わらない」なんて事に対して
ごく自然に疑問を持っています。

これを
「会社ってそういうもんなんだよ」とか
「頑張ってると少しずつお給料が増えるよ」って言うのは、
自分が会社員をやってる親です。

そういう親は
高いスキルを身に付けたり経験を積めば
「もっと給料の高い会社で働ける」
という教え方をしますよね。

そしてその手段として
「せめて大学」ってなるわけです。

自分がそういう世界でしか生きて来ていないから
そこから自分の子供が外れた時にどうなるか不安なので
自分の理解出来る範囲で生きてほしいわけです。

ほとんどの親って
口で言ってるほどには
子供の事を真剣に考えてはいないと思いますね。

てか、ほぼ間違い無く邪魔してるわけでね。

で、そういう親の子供が
尊敬する人は?って聞かれて
両親です、とか言うんでしょ。笑

見事な洗脳。


全然笑えんですよね・・・


ここまで!

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