2025年1月10日金曜日 3:53

母が旅立ってしまった


まさかまさかの連続


12月31日 火曜日 14:10〜15:15 面会

帰省していた長女と次女とともに会いに行った。

久しぶりの長女の面会にとても喜んでくれた。

終始嬉しくて長女の手を離さない母。

表情が穏やかで嬉しさが滲み出ていた。

また来るからね〜と笑顔で別れた。


1月2日 木曜日

施設から午前中に電話。

年始の挨拶の後、実はコロナ感染者が出まして…

え〜っと驚く事しかできなかった。

なんとなく嫌な予感…


毎日何事も起きませんようにと、

父や夫の位牌にお願いした。


1月8日 水曜日 9:35 携帯がなった。

施設からだった。

3日前位から咳が出ていて、平熱ですが…

酸素飽和度が50〜70しかないので、

往診に来てくださるクリニックに

ご家族が連れて行って下さいますか…と。

すぐ向かいますのでと電話を切り

仕事をそのままで外出した。

9:50頃施設に着き母を車に乗せてクリニックへ。

インフルが猛威をふるっているみたいで、

駐車場は検査待ちの車で満車状態。

クリニック到着時、酸素飽和度は50。

かなり苦しいはずなのに、聞くと

大丈夫と答える母。我慢強いにも程がある。

冷たい手をお湯で温めてもらっても

酸素飽和度が上がらない。

まずはレントゲンを撮って

次にインフルとコロナの検査。

車待機でインフル陰性、コロナ陽性を聞いた。

私だけ先生に呼ばれて

コロナ特有の肺炎に

かかっているので、即入院をと言われ

地元の病院に入院する事になった。

12時少し前に病院到着。

車椅子に乗せられすぐに酸素マスクを装着。

そのままCT撮影。

私はそこで別れた。

院長が担当医で説明を受けた。

かなり重篤なコロナ特有のすりガラス肺炎だと。

正常な肺はわずかで4分の3はやられてると。

点滴で薬を入れますが、状態によっては

効かない事もある。人工呼吸器やエクモを…

最悪の場合もあるのでその時は

覚悟して下さいと言われた。

そんな事を突然言われても

思考回路は止まったまま動かない。

よろしくお願いしますとしか言えなかった。

コロナ患者の為隔離病室で、モニター監視。

可哀想過ぎる…つらい。

どうか病院から連絡げきませんようにと

祈り続けた。


1月9日 木曜日

仕事終わりの5時10分頃病院へ。

前日預かった入院書類を受付に提出し

面会カードを記入して2階へ。

院長がいて状況を説明するのでこちらへと。

今日は少し食べれました。

少しだけいい方向に向かっている様子だと。

あ〜良かった〜少しずつでもいいので

良くなってくれたら…と。

安堵して病院を後にした。

すぐに娘たちにLINE、

心配してくれている母の妹、従兄弟にLINE。

皆んなそれぞれお墓に行って

頼んできたからね〜と言ってくれた。

本当にありがたい。


1月10日 金曜日 3:29携帯が鳴った

出る前からドキドキして震えが止まらない。

ガラガラ声で出ると当直の医師だった。

夜分遅くにすみませんと言われ続けて

酸素飽和度が30まで落ちて

危険な状態なので来られますか?と。

すぐ行きますと答え娘を起こし説明。

…3:35家の電話が鳴り慌てて出ると

今心臓が止まりました…と

えーそんな…えーしか言えない

すぐ向かいますと電話を切り病院へ。

3:50病院着

ナースステーションに行き少しして

当直の医師が来て隔離病室に案内され

手前でビニールエプロン、手袋、マスク、

フェイスシート、ビニールキャップを装着して

母の元に…

まるで眠っているみたい

顔も、手も全て温かくて…信じられない

苦しいを感じずに逝けたみたい。

ただただ心臓がかろうじて動いている間に

会いたかった…ひとりで逝かせてしまった

それだけが悔やまれる…本当にごめんね

夢みたい、嘘みたい、信じたくない…

父の死に際にも間に合わず

同じくひとりで逝かせてしまった…

両親に対して後悔しかない。

親不孝な娘でごめんね。


処置をしている間に葬儀社に連絡

ゆたかを着せてもらいコロナだから

ビニールに入れられて…

開いてしまった口を閉じる事も、

髪を整えたり、死化粧をしてもらう事も叶わず…

そのまま状態で棺に入れられた。無念。

帰りたくてたまらなかった自宅に

1年半ぶりにやっと帰宅できた。


かかってしまったから仕方ないけど

コロナが憎い

移らなかったまだまだ元気で入れたはず

施設に持ち込んでしまった人を

憎みたいけどできない

許したくないけどできない


私が仕事辞めたらウチに来て一緒に暮らそうね

そう話して、楽しみだね〜と

話していた母の顔が忘れられない


娘たちは自宅に帰り

実家には眠っている母と私だけ

90歳本当にお疲れ様でした

いっぱいいっぱい働いた人生だったね

綺麗好きで毎朝きちんとお化粧して

美味しい食事を沢山作ってくれて

手打ちうどんや手打ちそば

重曹まんじゅう、煮豆、煮物

何を食べても美味しくて幸せだったよ

本当にありがとう

幸せな59年だったよ


大好き