いつの頃からか、


わたしは、母に本音を話すことができなくなった。






好きなことを見つけて、思いっきりやりなさい。


ママはなんでも応援するから!






そんなスタンスの母親像を見ると、


それがドラマなどの作りモノだとしても、


とてつもなく羨ましくなってしまう。






こんな風に、


わたしは、言われたことがない。






そんな風に言ってくれたなら


どんなに嬉しかっただろう。


そんな風に言ってくれたなら、


きっと、どんな本音だって打ち明けることができただろう。






精神的に母に寄りかかれる自分を想像してみると――、


わたしは涙が出そうになるくらい


羨ましくなってしまうのだ。










わたしが今までの人生で、


本当にやりたいことをできなかった事実を


母親のせいにするつもりはない。


「親の意見なんて押しのけるほどの熱意がなかったんでしょ?」


そう言われてしまえば、それまでだ。






だけれども・・・






強烈な価値観を持っている親元に生まれ、


「あなたは、こんな風に生きなさい」という


まるで圧力でもかけられているような家庭で育ったわたしにとって、


親の意向に背くことなんて


絶対にできなかった。






わたしはAに行きたいなぁ・・・と思っても、


親がCだと言うのなら


わたしはCを選択してきたし、


なにより、それが自分自身の選択だと思い込んでいた。


親の意見に沿うことで、自分自身の身を守っていたことには、まったく気が付いていなかったのだ。





ひとつ、


とってもわかりやすい例がある。





わたしが就職活動をしていたとき、


大企業の一般職(A社)と中小企業の総合職(B社)の選択に迫られていた。




わたしは、一般職になど進む気はなくて、


総合職に行きたかったのだが、


母親はどうしても、このA社に行って欲しいと懇願していた。





「総合職なんて、大変は道に進んでほしくない」


「大企業に行って欲しい」


「涼しい室内でお仕事できるのよ。いいじゃない!」





まったく説得力のない言葉だったはずなのに、


わたしは、悩みに悩んだあげく、


どういうわけか、A社を選んでしまったのだ。





「わたし、A社に行く!」と行ったときの


母の半端でない喜び方が


今でも目に焼き付いている。





のちに、わたしは、


どうして自分の意見を押し通して総合職のB社に行かなかったんだ!と


嫌というほど後悔したけれど、





あの頃のわたしは、


親の気持ちに反発してまで自分の意思を押し通すことができなかった。


親の望み通りの道を進んで、親の喜ぶ顔を見るほうが、安全だった。


きっと、そのほうがいいんだと、


本当に無意識のうちに思い込んでしまったのだ。









そんなわたしの人生にも、


思いもよらないギフトがあった。





それは、自分の気持ち・願望を押し殺すという究極の生き方を30過ぎまで経験したことで、


わたしがあらゆる病気にかかってしまったこと。


そこで、立ち止まり、


本当に自分自身を見つめ始めることができたからこそ、






今度は真逆の生き方、


つまり、自分の人生を生きるという、一見、当たり前のことを


一歩一歩、経験し始めることができたのだ。









ここで、


忘れてはならないことがある。





それは、


母も、母なりのやり方で、


わたしに愛情をたっぷりかけて育ててくれたということ。


なにも、わたしを苦しめようとしたわけではないし、


良かれと思って、してくれたのだということ。





だから、今度、母と話をしよう。





母とまた本音を話すことができるように――、


親子なのに、気持ちを繕ったり誤魔化したりするのは、もうやめられるように――、


しっかり母と、話をしてこよう。






つづく → http://ameblo.jp/n-shiratori/entry-11444540199.html