東横線のホームで電車を待ってると、

なんだか、妙に息苦しい自分を感じた。



と言うより・・・



羽田に降り立ったときから

なんか感じていた。

首回りのイヤ~に重苦しい感じトボトボ



今年の3月に

宮崎へ引越してきたわたしは、

この地で、あまりに開放的になれる自分を感じたけれど、



それは同時に、

自分が都会にいたときに

いかに緊張しながら暮らしていたかということを

感じさせてくれるものでもあった。



もしも

東京で緊張していないなら、

宮崎に来ても何も感じないだろう。



でも、宮崎での開放感を知ってしまったわたしが

久々に東京へ行ってみると・・・

そこは、肩が凝るほど居心地の悪いものだった。









そう言えば、

わたしが結婚して

初めて新居に行ったときのこと。



まだ家具も揃っていないその部屋で

「疲れたぁーーー!」

と大の字になって寝ころんでみた。



部屋の窓からは

太陽の光が鮮やかに差し込んでいて、



ごくありきたりの平日の午後、

わたしは心底思ったんだ。



「あー、こんな風に寝ころんでもいいんだ。

 疲れたと思ったら、横になってもいいんだ・・・」って。



ずっと実家暮らしだったわたしは、

家でダラダラすることもどこか許されず、

どんなときも活動的で元気な自分でいなければいけなかった。



それが、

親に怒られるからなのか

怒られそうな気がするだけ(!)なのか、

そのどちらかはわからないけれど、



いずれにせよ、

わたしは自分で自分のことを

ダラけることは絶対にいけないことだと抑え込んでいた









そして、実家を離れてみて

初めて知ったんだ。



それまでの自分が、

いかに緊張しながら生きていたかということを・・・。



自分で思っている以上に

まわりの視線を気にしていて、



そこにムダなエネルギーを注がざるを得ないくらい

気を張っていたということを・・・。



そして、

まわりの視線を気にするなんて格好悪いと思うがあまり、

まったく気にしてないわよ!というフリをすることにも

これまた膨大なエネルギーを使っていたということを・・・。





大丈夫なフリ

何でもないフリ

元気なフリ

ポジティブなフリ・・・



どんどんどんどん、いろいろなフリを積み重ねていたら

どんな人だって、疲れてしまう。



だから今は

宮崎がちょうどいい。



東京では

やはり一度も見上げることのなかった空を

宮崎ではゆっくりと眺められる・・・



そんな

どこか心にゆとりの持てる宮崎が・・・

今のわたしには、合っている。



nina*