東横線のホームで電車を待ってると、
なんだか、妙に息苦しい自分を感じた。
と言うより・・・
羽田に降り立ったときから
なんか感じていた。
首回りのイヤ~に重苦しい感じ
今年の3月に
宮崎へ引越してきたわたしは、
この地で、あまりに開放的になれる自分を感じたけれど、
それは同時に、
自分が都会にいたときに
いかに緊張しながら暮らしていたかということを
感じさせてくれるものでもあった。
もしも
東京で緊張していないなら、
宮崎に来ても何も感じないだろう。
でも、宮崎での開放感を知ってしまったわたしが
久々に東京へ行ってみると・・・
そこは、肩が凝るほど居心地の悪いものだった。
*
そう言えば、
わたしが結婚して
初めて新居に行ったときのこと。
まだ家具も揃っていないその部屋で
「疲れたぁーーー!」
と大の字になって寝ころんでみた。
部屋の窓からは
太陽の光が鮮やかに差し込んでいて、
ごくありきたりの平日の午後、
わたしは、心底思ったんだ。
「あー、こんな風に寝ころんでもいいんだ。
疲れたと思ったら、横になってもいいんだ・・・」って。
ずっと実家暮らしだったわたしは、
家でダラダラすることもどこか許されず、
どんなときも活動的で元気な自分でいなければいけなかった。
それが、
親に怒られるからなのか
怒られそうな気がするだけ(!)なのか、
そのどちらかはわからないけれど、
いずれにせよ、
わたしは自分で自分のことを
ダラけることは絶対にいけないことだと抑え込んでいた。
*
そして、実家を離れてみて
初めて知ったんだ。
それまでの自分が、
いかに緊張しながら生きていたかということを・・・。
自分で思っている以上に
まわりの視線を気にしていて、
そこにムダなエネルギーを注がざるを得ないくらい
気を張っていたということを・・・。
そして、
まわりの視線を気にするなんて格好悪いと思うがあまり、
まったく気にしてないわよ!というフリをすることにも
これまた膨大なエネルギーを使っていたということを・・・。
大丈夫なフリ
何でもないフリ
元気なフリ
ポジティブなフリ・・・
どんどんどんどん、いろいろなフリを積み重ねていたら
どんな人だって、疲れてしまう。
だから今は
宮崎がちょうどいい。
東京では
やはり一度も見上げることのなかった空を
宮崎ではゆっくりと眺められる・・・
そんな
どこか心にゆとりの持てる宮崎が・・・
今のわたしには、合っている。
nina*