惰性で作られたラジオ番組
惰性で作られている番組は本当に聞くに耐えない。
惰性で作られている番組とはパーソナリティ、スタッフ共に仕事がルーティン化してしまっており、向上心がなくもはや惰性で制作してしまっている番組である。
そういった番組の特徴は下記のとおりである。
1)パーソナリティのしゃべりに力がない
たらたらとしゃべっており、声に覇気が無く、伝わってくるものがない。ヘラヘラとした力ない笑いがよく出る。
2)コーナーや中身がまったく変わらない
絶大な人気を持っているコーナーだったり、スポンサードのコーナーであれば別だが、いつ聞いても変化がなく同じ事をいつも繰り返している。またやってるよ、と飽き飽きしてくる。
3)番組を聞いていて、リスナーの姿が浮かんでこない
良い番組(=人気のある番組)は、いちリスナーとして番組を聞いていても、パーソナリティのしゃべりを通じて聞いている他のリスナーの姿が思い浮かぶものである。それが全然見えてこない。要するに「こんな番組だれが聞いているんだ」と思ってしまうのである。リスナー不在の番組である。
こういった番組はキー局、順キー局などではほとんど見られない。しかし地方局や、それこそコミュニティFMには非常に多く実在するのである。こういった番組は概してパーソナリティとスタッフとのコミュニケーションも不足している。そして人気がないから、パーソナリティとリスナーのコミュニケーションも不足している。あったとしてもごく一部のコアなリスナーとだけコミュニケーションが取れているのである。
このような番組をたらたらと続けているラジオ局はもはや末期状態と言って良いだろう。恐らくは営業サイドも死んでしまっている。
ラジオの広告費は年々減少の一途をたどっている。それはすなわち、ラジオを聞いている人の数も年々減っていることに他ならない。もちろんラジオの必要性、優位性そう言ったものは充分に認知されていることは確かだ。しかしながら日頃から聞いてもらわなければどうしようもない。メディアは存在しているだけで価値があるものでは決してないのだ。
そういう観点から見ると、ラジオは本当にオモシロイ番組を作ることに必死にならなくてはならないだろう。惰性で作られているつまらない番組をのらりくらりと放送していては未来はない。
ラジオのおもしろさを左右する最も大切なものは何だろうか。それはしゃべり手の個性である。しゃべり手のことをパーソナリティと呼ぶが、とても的を射た表現であると思う。
しかしどんなに個性的なしゃべり手がいたとしても、それを生かすも殺すも制作者次第である。昨今のラジオがつまらないのは決してしゃべり手が不足しているワケではなく、制作者の質が落ちているからに他ならない。良い番組を作りたいという熱意を本当に持った制作者が減っているのではないだろうか。
かっこいい番組、おしゃれな番組、そういうかっこよさを求めて制作することが決して間違っているとは思わない。そういう空間演出型の番組、ステーションは必要である。しかし本当に人気のある番組、ラジオ史に残るような人気番組は果たしてそのようなかっこよさを追求した番組であっただろうかと考えてみたい。
