この記事は、2016年9月21日の過去記事「愛は普遍的な感情か」の続きです。まだ読んでいない方は、ぜひこちらから(フランス語のみ)ご覧ください。

要するに、フランス語と日本語の比較言語学的分析に続いて、「日本人とフランス人の間では、愛・愛情を表現することもあるが、最終的には同じ気持ちだろうか」という疑問で、私は記事を締めたのである。それから数年後、私の思いが形になったので、以下に紹介させてもらいます。  
 

2021年の7月には、先に東京へ帰っていた家族に会うために日本へ行く予定だった。しかし、飛行機に乗る直前にコロナに感染してしまい、断念した。1ヶ月間1人だったので、南フランスの素敵な夕焼けを見ながら愛情と人間関係について色々考えた。

 

カンヌの地中海、夕日(21時ごろ)

 

車でカンヌから50分離れた山の頂上の夜明け(朝5時ごろ)

 

この7月、いくつかの重要なことを理解したと思う。皆さんにとって何かのきっかけになるかどうかは分からないけど、私の考えたことをここに記してみる。

ではでは、哲学者パスカルの思想は下記の通り!(笑)

 

今日は、愛と人間関係についてお話したいと思う。友達や両親、子供、奥さん、恋人、生徒さん、教師…. 人を好きになることはいいことだと思う。間違いなく、愛は憎しみよりいい。誰かを愛するとき、一緒にいたいとか、連絡をとりたいとか、その人について心配したりとかする。その人が悲しんでいたら、自分も悲しい。幸せなら、自分も幸せだ。しかし、この愛に乗せる人間関係のかたちは大切になってくると思う。例えば、夫婦の関係を望むか?友好的な関係を望むか?家族・親戚としての関係を望むか?保護者・被保護者としての関係を望むか?教師・生徒としての関係を望むか?

私はそれを寿司に例えたい。(少し食いしん坊ですから... 笑)色々な寿司があるが、白いご飯のベースはいつも同じだ。それが愛。人間関係は、寿司のネタだ。寿司としては違っても、ベースはいつも同じなんだ。そして、その寿司は必ず2人で同時に食べるもの。つまり、1人では食べられないものだ。

 

友人への愛、伴侶への愛、両親への愛、子どもへの愛、隣人への愛… いくつもの愛のかたちがあると私は勘違いしていた。それは錯覚だったのだろうと思う。日本語には愛情を表す動詞がいくつもある。愛する、好く、惚れる、想う、慕う… これらの動詞は愛と人間関係の種類を融合させた言葉だと思う。日本語では人間関係のかたちによって愛情の種類が変わるようだ。しかし、ベースとなる愛情は人間関係を超えたユニークなものではないかと思うようになった。

 

一方、様々な人間関係があるにも関わらず、フランス語には愛情を表す動詞が1つしかない。その動詞は「aimer」。この2言語の対比から、具体的な人間関係から一度「愛」を切り離してとらえることが重要なのではないかと思うようになった。こうして、人間は愛執という毒から逃れられて、平和に、相手との愛を生きられるのではないか。愛を十分に生きるということは、必ずしも情熱的に愛を生きるということではない、と思うようになった。

そして、この人間関係にはルールがひとつある。「構築可能な人間関係はいい」「無理な人間関係はよくない」であること。可能か不可能かの間にあるボーダーラインは、その人の性格、価値観、教育、などによって変わる。真実はひとつではないのだ。しかし、無理な関係を築こうとすると、相手にも、周りの人にも失望、悲しい思いをさせ、自分自身までもが不幸になる。そして多くの場合、問題が起こる。しかし逆に、構築可能な関係の中で愛情を育てることが出来たのなら、それはとても大きな力となりよい結果が得られるだろう。

 

実際、男の人も女の人も同時に何人もの相手を好きになることが出来る。愛は悪いものではなく、自然な気持ちだからだ。ただ、その愛を具体的にどうのようなかたちの中で生きるのか。その愛情の上にどのような関係を乗せるのか。それは無理な関係か。可能な関係か。そう自分に問うのは、正しいことではないだろうかと思う。

 

今思えば、愛には失望させられたことがない。だが、人間関係には時に失望させられ、苦しめられた。それは恐らく無理のある人間関係だったからなのだろう。人は幻想を描く。人間だからこそ間違えて、つまづくことがある。しかし、愛と共に構築可能な人間関係の中で生きることが出来れば、それは常に大きな幸せの源泉にいるのと同じことなのではないだろうか。

私が真実を知っていると言いたいのではなく、また愛について説教をしたい訳でもない。ここにはあくまでも私の現時点での理解を記しておきたかった。皆さんは私と同じように欧米と日本の交差点に位置する人たちなので、シンプルに私の今の考えを共有させて貰った。


もし、私の書いたことが気まずく感じるとしたら、本当に申し訳ない。 
 

私と自分のポジティブな考えをシェアしたがる読者がいれば、ぜひ!

 

パスカル 🙂