40代女の日記とアロマと

40代女の日記とアロマと

アロマを通して自分らしさを認められるようになったわたしの体験談と、つぶやき &アロマのはな0

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昨夜、ある行動に出てしまった。

なぜそうしたのか自分でもよくわからない。

とにかく昨夜のあの時、

どうしてもそうしなければならない気持ちに駆られたのだった。

 

今朝になって、いくらか冷静に

その出来事にまつわることを過去にさかのぼって探ってみると

その行動の出所は意外な感情からきていたのだった。

 

怒りの奥にはさびしい気持ちがある

というのは知っている。

しかし、自分がさびしいと思っていたなんて

思っても見なかった。

だから、気づいたときにとても驚いた。

 

同時に、そんな寂しさを抱えている自分を情けないと思ったり

そういうふうに見ている自分にも気づく。

そんなことではまた同じことを繰り返しそうだ。

自分を認める、というのは本当に困難なのである。

 

そうでなくても自分のことを話すことにはいつも躊躇する。

それはなぜなのかわからない。

もしかしたら、自分でも思っている以上に

自己評価が低いのかもしれない。

 

もう更年期突入。

閉経への恐れもあいまってなんだか、

ますます自己評価が低くなりそうで怖い。

 

同年代の独身女性は、こんなこと考えているんだろうか。

 

 

 

そういう場所って言うのは

案外子供の頃に記憶されたことが多い。

 

そのひとつでいえば、私の場合

忘れられない喫茶店がある。

なにかあると父が連れて行ってくれた喫茶店で

昼でも薄暗く、

クラッシュアイスのオレンジジュースがおいしかったのをよく覚えている。

その場所が好きだったかどうかは覚えていないのだけど

姉に言わせると、その場所に行った3歳の私は

いつも「ご機嫌」になったそうだ。

 

3年前からふらりふらりと喫茶店をやっている。

それで生計を立てるまでの自信がないので、趣味範囲なのだが。

思えば、「カフェ」という場所への憧れは常に持っていて

上京してすぐに食品衛生責任者の資格を取ってみたり

喫茶店をやる前から居抜き物件などを探したり

いつもこころから離れなかった、と今思う。

 

そして、その内容を考えるときに軸となっているのが

その、わたしが「ご機嫌」になった場所で。

もやもやとしたイメージのともし火を消さないように

大切に大切に

それに近い場所を作ろうとしている。

 

先月ふと、飲食を本気でやったらどうなるんだろう という思いが頭をよぎった。

どうなるんだろう。

しかし確実に料理をつくるのは好きだし、

その場所作りも好きなので

やらない理由は「やっていけるかどうか」という問題だけだ。

 

50代も見えてきたことだし、

悔いなき人生へのチャレンジを

しておいたほうがいいのかな。

 

 

こうして文字の落とすとすこし頭が整理される。

 

なんだか。

 

季節の移り変わりに急激に鈍感になってきていて

危機感を感じるこのごろ。

 

身体のラインもぼんやりとしてきて

動きも鈍ってきて

頭の切れも悪くなってる。

 

そのぶん、

「まあいいか」 と思える

よく言えばおおらかさが身ついてきてはいるが。

なんだか、なんとなくさびしい。

 

 

枯れた花を見て思うことは

最後まで本質は変わらないということ。

きれいな季節はちやほやされて

その分気を使ったりしても

枯れたあとは 本当にその姿が好きな人にしか相手にされない。

人も、そうなのだろう。

 

うわべが決めてだとは思わないけれど

しかしやはり自分としては

枯れることに寂しさを感じることは否めない。

花もそうなんだろう。

 

どうしても過ぎていく時間の中で

あとどれくらい私を続けられるか。