久しぶりに手にとった絵本。





今年出会った
画家で絵本作家の
シドニー・スミス。


カナダ、ノバスコシア在住。
国内外で
数々の賞を受賞している、話題の方。


詩人の言葉を絵にされています。


言葉を読み
絵をすみずみまで眺めていると

似たような気持ちで周りを眺めた
心の景色を思い出します。

風や、踏みしめる落ち葉や
やわらかな土の感触が
蘇ってくる。


映画を観ているような気持ちになります。

備忘録として。













『ぼくは川のように話す』




写真家の紹介で知ったせいか

勝手な思い込みで、
写真絵本と勘違いした表紙の少年。




じっと見ていると
川上りして遊んだ記憶と重なり
波が動いているような気がしてきます。





物語は
詩人のジョーダン・スコットが
吃音にとても苦労した
少年時代のエピソード。


シドニー・スミスが
その心の内を
絵として想像し表現しています。






ぼくが見ている景色が
みんなの視線をうけて





張り詰めた気持ちでゆがむ






読む私の心も
否応なく
少年の心象風景に重なる。



「流れるように話せること」が目標だと
言語療法士に言われてきた。
でもかんたんにはいかない。




朝起きるのが辛い日々。




ある日
父が言った一言が響く。








川の流れをつぶさに見て

「流れる」

言葉の意味をとらえ直す。






川は、なめらかに流れているわけじゃない。












父が川を指さしたとき、ぼくはそこに、
自分しかわからない
恐ろしいものを言葉にするための
イメージや表現があることを知りました。
           ぼくの話し方 より



その姿が
畳まれた見開きの
大きな絵で表現されている。






詩人ジョーダン・スコットの思い
そして実際の川の流れ。
画家シドニー・スミスの思いも
語られている動画。






父の言葉で
少年が目覚める
エモーショナルな場面を
10回あまり描き重ねて
その場面に迫っていった。
シドニー・スミスのスタジオから、
描き重ねた絵と白ワインとともに。
ちょっと酔っ払ってる?自然体〜




何もしゃべりたくない少年のかたわらで
話さなくてもいいことを
一緒にやりつづけた父の姿が描かれる







歩き





石投げをする






少年の気持を思いながら

無力さを感じながら
寄り添うことしかできない
父の気持ちにもなりながら
眺めました。






かつて吃音に苦労したと語る
エド・シーランが
『ぼくは川のように話す』を朗読しています。





昔、吃音に詳しい先輩が
吃音の辛さは、
その苦しさを人にわかってもらいにくいことだと話していていました。









初めてこの絵本を読んだとき

川のように話す、という言葉が
理屈ではわかる気がするけれど

なぜ、少年の胸にそんなに響いたのだろう。

腑に落ちませんでした。








今、読みなおすと

ぼくのことを

人がまとめた言葉ではなくて
自分の言葉で言い表す道があること


ぼくの吃音を、経験を、

たださなくてはならない負のものではなく
豊かなもの、美しいものとして
表せることに気づいたこと

その気づきが
ぼくに力の源を与えたのかもしれない。

そんなふうに感じています。









自分のことばで自分を語れる自由を思います。









邦訳された絵本はどれも素敵です。





『このまちのどこかに』




この絵も、つくづく、すごい。

外に降る雪と
車窓に映り込む街の景色と
車内の乗客が描かれています。

平面なのに
奥行きがある。




カナダ、トロントの街と

シドニー・スミスが住んでいた
近所の風景を描いたそう。


作品でありながら
個人的な記憶の記録でもあります。

文章も、絵も、彼一人による作品。







都市に住む
ちいさなもののお話。

雪が降る日の
顔にあたる雪の冷たさ
かじかんだ指先

いろんな感覚を思い出します。




愛らしいストーリーは

誰かに贈りたくなる一冊です。











この絵本を
どんなふうに描いたか、
実演してくれています。

筆ペンを自在に操って
不自然に作り込まないような
スピード感やラフさを大切にしているそう。
スタジオで、
隣で見ているような気になる動画です。





















『うみべのまちで』




海底炭鉱で働く人たちの町のお話。

文のジョアン・シュウォーツは
絵本作家であり、児童のための司書でもある。



海のきらめきが眩しい表紙絵に座る少年。

将来
祖父や父親と同じように
海底炭鉱で働くだろう
この息子の視点から語られます。



絵本の抜粋を動画で。


日本にも
世界遺産になっているところをはじめ
各地に海底炭鉱があって、
すこし調べるだけでも
水没事故など
危険と隣り合わせの歴史がみえます。


天草市のサイトから、海底炭鉱への入口
ここから海の下にもぐりこむなんて。



無造作に絵本を置いていたら
いつの間にか息子も読んでいました。


この絵本が
一番印象的だったようです。

理由は
海底で掘り進める父が
落盤で命を落としたのでは、と危ぶむような
場面がそっと描かれていたから。


私も絵本に描かれる
なにげない団らんが
明日にはないかもしれない
かけがえのないものに思えました。



この絵本は
1950年代が舞台で
炭鉱では9歳10歳から働くことも
珍しくなかったとあります。

少年が受け入れる将来についても
心に残っています。









『おはなをあげる』






『ぼくは川のように話す』よりも
素朴なタッチで描かれています。

赤いフードをかぶった幼い子が


道ばたのちいさな花と
命の営みに気持ちを寄せている
文字のない絵本。



父親と子の
目線の違いにドキリとさせられもしました。





見開きには
女の子とあるけれど
実際には、言葉で説明していないから、
日本で
女の子、と著さない日がくるかもしれません。











2015年の『おはなをあげる』から
2020年の『ぼくは川のように話す』
絵の表現が深まっていっていて、
次の作品もとても楽しみです。





シドニー・スミスさんが
絵本に思うこと。
すごく素敵な言葉で語られています。







絵本に懸ける
まっすぐな気持ちや

他の動画でみられる
ひたむきで楽しげな制作の様子が


束の間
観ている私まで
自由な気持ちにしてくれます。























おまけ





月食見えました。

私が見た空は
雲がうっすらとあり、
近くのプレアデス星団や星ぼしは見えず。

同じころ、
部活に疲れた息子は
電車で寝過ごしていました。


車両によって寝やすい座席があるらしく、
いかに寝やすいか
力説していました。







もう満月ではないけれど
今夜も月は
高いところで
明るく光っています。