図書館で
絵本のような表紙とタイトルに惹かれました。

わかりやすく
すっと胸に届く語りでしたが、

思うようにはまとまらず
もどかしい。


よろしければどうか
お付き合いください。



 

『優しい語り手』
オルガ・トカルチュク






もしも誰かを恋しく思うなら、
その誰かはもういるのよ




幼い頃に聞いた
生まれる前から「わたし」を存在させてくれた
母の言葉が「優しい語り手」だという

オルガ・トカルチュクにとって、

生物も
ティーポットのような無生物にも
心はあり

“優しさ"は
すべてのものに
人格を、声を、
存在するための時間を与える
愛のもっとも慎ましいかたちだといいます。



存在するものすべてのものは、
相互につながり、
一つの全体をなしている



一方で

互いに相反する大量の情報の世界、
矛盾する情報が壮絶に争う世界に生きている
いまのわたしたちの問題は、

現代における
超高速な変化を語るための
言葉や視点やメタファーや神話や
新しい物語が足りなくなっているということ。

未来や具体的な「いま」の世界を語る
あたらしい方法が欠けてしまっています。


わたしたちには
普遍的で、全体的で、すべてを含み、
自然に根差していて、豊かに状況を織り込み、
同時にわかりやすい
あたらしい物語の基礎が必要で、

きっと間もなく
全く別の、こんにちでは想像できない
新しい語りが登場するでしょう。

起こったことも
語らなければ、在ることをやめて
消えていきます。

そのことは歴史家、
なにより政治家、独裁者がよく心得ています。

小さな存在であっても
物語を所有し、紡ぐ者こそ、
支配者なのだから



だからわたしは、
語らなければならないと信じています。

世界とは、
わたしたちの眼前で絶えず生成しつづける、
生きたひとつの全体であり、

わたしたちは
ほんのちいさな、でも同時に
力強いその一部であることを語る、
そういう物語を。








トカルチュクはポーランド出身。

西欧と東欧の
政治の支配、 
双方の文化の周縁でもあった
「中欧」の視点と

中欧独特の
断片的なものを重ねてゆく語りから
影響をうけつつ

消えつつある中欧文化から
世界の物語を編もうとします。

彼女は断片の連なりによって
世界を語る手法を

神話のある
星座になぞらえます。









『逃亡派』
オルガ・トカルチュク



116の断章からなる
旅と移動の大きな物語です。


1542年、新しい時代のはじまり。
コペルニクスが地動説を唱え
ヴェルサリウスが人体の構造を発表する。
時をへて、
人は空へ、
宇宙へと自由に旅するようになり
人体という小宇宙は
解剖学によって詳らかにされ
プラスティネーションによって半永久的に保存されるようになる


巡礼の目的は別の巡礼者
旅の目的は別の旅人


旅先の小さな島で
失踪した妻子を探すクニツキの話


私の家は私のホテル
私の好みのぴったりな本があり
私サイズの服があり
ベッドのサイドテーブルには
いつものビタミン剤に
お気に入りの耳栓がある
誰にも邪魔されない
リーズナブルなホテル




人体の最も強い筋肉は、舌です


細かに解剖しても見つけられない
幻肢痛の在り処を
神から与えられた
理性で探し続けるフィリップ



アキレス腱や幻肢痛のように
名づけられると
これまでなかったことが嘘のように
確かに存在するようになる。

英雄アキレウスの物語のように

われわれの身体のなかには、
全世界が
神話が隠されているのかもしれない






亡きショパンの遺志をうけ
故郷へ
心臓を密かに隠し届ける 
姉ルドヴィカの旅




逃亡派の女は何を言っていたか

やつが支配できるのは
動かないもの、固まっているもの、
意志のないもの、力のないもの。

ゆれろ。動け。動きまわれ。
それが唯一、やつから逃げる道。


等々・・


一見取りとめなく連なっているような
断章から断章へと
ひたすらに読み重ねていくと

ある時から
個々の物語が
私の記憶とも連なり
つかみどころのない像が
浮かび上がってきます。

まるで星座のように。




知ることは、
層みたいに重なっている。
ひとつの層は次の層、
もしくは前の層が呼び水になる

そもそも全体なんか存在しないし、
いままでも存在しなかったのかもしれない







一つ一つはわかりやすいお話です。
かといって
最後まで読んで
何か一つの結末があり
答えがみえるわけではありません。


ただ
読む前と読んだ後では
空のむこうに
宇宙や星空が透けて見えるような



曖昧でいて
確かな読書体験が
身体に残ります。

きっと
読む人によって
連なる記憶は異なるから
違う星座が見えることでしょう。
 


2007年著
2018年国際ブッカー賞受賞
同年トカルチュクはノーベル文学賞受賞
「森羅万象への情熱を武器に、限界を乗り越えていこうとする生き様を物語る想像力に対して」贈られたそうです。




最終目的地。
わたしたちは、どこへ向かっていようとも
わたしたちはあそこをめざしている。

「どこにいるかは問題ではない。」
どこにいようと関係ない。

わたしはここにいる。









『迷子の魂』
オルガ・トカルチュク 文
ヨアンナ・コンセホ 絵




こちらは絵本。

断章の一つのようなお話です。

 



昔よく働く人がいた。

彼はずっと以前に
自分の魂をどこかに置き忘れていた
魂がなくても彼は普通に暮らせた。




あるとき、
旅先で息ができないような気がした。

彼は自分がどこにいるのか
なんのためにここに来たのか
自分の名前すら
わからなくなった。





医師は言う

わたしたちを上から見たら
忙しく走り回る人で世界はあふれかえっているでしょう
そして彼らの魂はいつも背後に置き去りにされて、迷子になっています

魂が動くスピードは、
身体よりもずっと遅いのです。






あなたはどこかに落ち着ける場所を見つけて
そこでじっくり
じぶんの魂を待つべきです。

あなたには他に治療法はありません。





彼は待ち続けます。
幾日も幾週も幾年も



そして・・・






 
2017年著。

初めて読んだときは
マインドフルネスのような
ありがちなテーマにも思えました。

でもそれは
浅い読みなのかもしれません。

トカルチュクは
身の丈の感覚を大事にして
書いているのだと受けとめています。


“よく働く人”は絵本では
大人として描かれているけれど

私には日本の
いまどきの子どもにも
重なって見えています。







今の世の中で
魂と同じ早さで生きていくって
どんな生き方なのでしょう。

ただ、のんびり過ごせばいい
ということではなさそうです。













・・・つらつら考えると

なかなか、むつかしいことですね。












絵は全て joanna concejo さん










未来に向かっていくために
いま懸命に努力されている方たちへ

望む道が拓かれていきますように

















ぐんと寒くなってきました。

どうか皆さま健やかにお過ごしください。