あっという間に9月ですね。
少し前のこと。
今年は8月23日が
七十二節気でいうところの
綿柎開(わたのはなしべひらく)。
綿の実がひらいて
白い綿毛が顔をだす時期だそう。
私のところでは
数日遅れの8月末でした。
綿の実がひらき始めると、
終わりのみえない暑さも
峠をこえて
涼しさがおとずれはじめるとか。
ほんとうにそのとおりで、
朝夕の風に涼を感じるようになりました。
各地の異常気象に
ただことでない焦りを感じながらも
暦通りに季節が訪れると
やはりほっとします。
綿栽培を振り返ると、
春に種をポット蒔きしたら
水のやりすぎで種が腐り
発芽したのはニ、三本。
手間のかけ過ぎは良くないと反省したのでした。
運良く
5月末に再び種と苗を手に入れ
スタッフさんに教えてもらい
雨にあたらない場所で
深さ1センチくらいに植えてみたら
今度は植えつけ場所に困るほど発芽!
直播きのほうが早く発芽。
本葉が出るまでは湿度に弱いそうなので
梅雨前に本葉になるのが
種蒔きの適期とのこと。
綿の花(上)とオクラの花(下)、似てますね。同じアオイ科です。
綿を育てるきっかけになった本
『種から布をつくる』
ここからは放ったらかしで
今に至ります。
幸い虫もつかず順調に生育し、
一度萼がひらくと
続々と採れ始めました。
小動物を触っているみたいに
ふかふか
しかしここからが甘かった。
両手いっぱいにとれても
わずか64グラム(種込)
この種を取るのが大変なんです
種から引きちぎるようにして
綿をむしり取る
こちらの写真↑は
種と綿に分けたもの。
これだけでも指は痛いし
時間もかかる割に
一輪分にもならないんです。
種と綿を分ける
綿繰り機の発明が
綿花の生産量を倍増させたという話
つくづく納得します。
この先はオーディオブックを
何冊も聞きながら作業するか
綿繰り機を自作するかですね。
思った以上に手間仕事
ちょっと思案です。
雲はきれいに種がとれてるなぁ、
と眺めてしまいました。
そんな頃に読んだ本のなかから。
『失われたものたちの本』
ジョン・コナリー
田内志文 訳
2015年邦訳初版 2021年文庫
映画『君たちはどう生きるか』の原作と教えてもらい予約しました。
以前、東京堂書店で
帯の文句に惹かれながらも
購入せず、気になっていた一冊。
巡り合うものですね。
ふわっとした感想です。
映画と
物語の大筋は同じで、
本のほうが
喪失と向き合い乗り越える筋立てになっています。
赤ずきん、白雪姫、眠れる森の美女、3匹のくま、三匹のやぎのがらがらどんなどなど、
よく知ったおとぎ話がダークファンタジーとして語り直されていて、
グロテスクさや残酷さが
まるで悪い夢のなかをさまよっているよう
そういえば子どもの頃、
人の内面に蠢くおどろおどろしいものを怖いもの見たさで惹かれる時期があったのも
グロテスクなイマジネーションでなくては言い表せない、癒やされない心の求めがあったからなのかも
と怪奇ものに惹かれた子どもの自分を重ねながら読み進めました。
映画は物語の「転」までで、
その先がこの物語の本当の結末。
この結末があるからこそ帯文の「しあわせ」があるのかな、とも思います。
描写のグロテスクさに好悪が分かれるかもしれませんが、私にとってはファンタジーが、実際には存在しないけれど心にあるものを、目に見える形にしてくれたおかげで子ども時代をゆたかにしてくれていたことを思い出させてくれる一冊となりました。
最近読んだル=グウィンのエッセイに
ファンタジーの言葉には、
現実の複雑さを誠実に、正確に描きうる力があることが語られていて
映画『君たちはどう生きるか』のメッセージの一つでもあるな、と思いながら読んでいます。
二十世紀中頃以降の社会ー全地球的、多言語的で無限の相互関連のある社会ーを描写するには、全地球的で直感的なファンタジーの言葉が必要です。
アーシュラ・ル=グウィン
「実際には存在しないもの」
『私と言葉たち』より
今回も長々とお付き合い下さりありがとうございます。
私の周りも体調をくずす方が多くいらっしゃいます。
皆さまが健やかにお過ごしでありますように。













