たまには彼の事でも書いてみようと思う。

あたしの彼・ミッチェルはとても賑やかで(騒がしく)お祭り好き、子供が特に好きで、興味のある事はとことん追求派。割と健康志向に見えるけど、イタリア人の血筋からパスタ/ピッツァ/パンなどの炭水化物が大好き、でも半分はドイツ人の血が混じっているため、金銭感覚はしっかりの上をとおりこし、その交渉能力といったら半端ない。それでもどっちかって言うと、イタリア系の影響を受けて育って来たので、家族同士の繋がりが強く、カトリック系の教会を通じ度々ボランディアもしている。物乞いをしている人を見ると、近くの食べ物屋さんでテイクアウトして食べ物を買ってあげたり、自分のはいている靴や靴下、洋服をあげたり(もちろんあげるまえに、やっすいストアで着替えを購入したあとだけど:新しいのを買ってあげられないのは、お店によってそういったお客様お断りの店があるから)そういう一面もある。

彼としての面では、あたしをいい意味でサプライズするのが好きだし(予告なしでバンクーバーに現れたりだとか)、いいレストランやホテルを押さえておいてくれたりだとか、2012年のNY旅行を既に予約してくれたりだとか(←それを2010年の夏に聞かされた叫び)、ロマンチックな雰囲気作りに尽力してくれたりだとか、もちろんこっちの男に例外なく、愛の表現は隠さないし欠かさない。その上、あたしを喜ばせるためには、2000キロの道も運転するし、生まれてこのかた全くした事のない料理だってちょこちょこし始めた。私たちはなんにも裏表なく話せるベストフレンドでもある。


だがしかしっ、ここで難点が一つ。それは:

彼の九州男児化が一向に加速している

こと。特に今年5月に実家に連れて帰り、うちの父と1週間ともにして以来、彼の九州男児になるという憧れはそれを通り越し、今や一生涯をかけてのゴールになりつつある。家の父は、毎晩欠かす事なく晩酌をし、家族に料理を振る舞ったことなど一度もないし(料理が全くできない)、掃除機などももおそらく触った事がない。ミッチェルとも毎晩欠かさず晩酌をして、焼酎をしこたま飲ませていた。全然日本語がわからないミッチェルに、

『ミッチェル、あのね、聞いて。』

となんでも/何度も話しだす。
飲み会のみならず父の一番の趣味ゴルフは週に一回以上。我が家では週に1回はゴルフ友達/近所さんを交えての宴会が開催される。眠くなったら友達がまだ呑んでる最中でも、その場で寝る。ものすごく自由奔放な性格の持ち主だ。一方母は、殆ど台所に立ちっぱなしで、いっつも何かしらしている。ミッチェルのジーパンの裾がほどけているのを見た時、ミシンで5分もせずにミッチェルの裾あげをまるで専門の職人さんのように仕立てた(ってかそっち方面の職人さんであったわけだけれども)。もちろんミッチェルが滞在中は、フルーツを向いてあげたり、気をつかってパンを買って来てあげたり、夜になるとビールを出したり。

長年夢見た憧れの夫婦の風景を実際に目の当たりにしたミッチェルは、成田からの帰国便で九州男児への熱い思いをさらに熱く語っていた。

しかし、ミッチェルは真実をしらない。

最近の九州の家庭には二つの顔が存在することを。外向きの顔と家(内)の顔。お客様がいらした時は、女性はささくさと台所に向かいお茶請けを用意したり、御茶を用意したり。男性は客間に座るなり、そこから一歩も離れることはない。まぁこれが外向きの顔。気の知れた客だったら、男性も自分から冷蔵庫のビールは取り出すし、なんだったら御茶だっていれる。家の父だって、食べた後の食器くらいは台所に持っていくし、簡単な晩酌のつまみも自分で用意する。母が『ご飯で来たよ~』と呼べば、さっさと台所に行き、食事を運ぶ手伝いをする。これが家の顔。しかし、あたしが初めて連れ帰った男性とあり、家の両親は彼の前で1週間外向きの顔を通しきったのである。

さらに、日本語を全く理解できないミッチェルは、『あなたも立って手伝いなさいよ』とか『そんな毎日ほろほろに酔っぱらってもこっちも困るわよ』なんてちくちくと母からの左ジョブが父に飛んで、父の肩身が初日に比べだんだんと狭くなって来ていた事を全く知らない。

だから最近一緒に飲むとたまに、
『両手でお願いします。(飲み物をつぐ時)』
だとか、自分では動く事もなく、
『オチャ、クダサイッ(日本語で)』
などと強要してくるようになった。まぁ、日本語の言い方がわいいから今はまだ平気でやってあげられるが、どうしたものかと頭をひねる日々が続く。。。