2005年にスタートした私のカナダ/バンクーバー生活も先月10月21日にて6年が経過。改めてこうやって書いてみると、6年って


すっげーーーーなげぇーーーーー叫び


毎年節目を迎えるたびに、いつもこの話題を持ち出すので恒例に従って今回も。


『6年もいると英語ぺらぺらだね?』

ってお思いの皆様、7年目の真実を告げるときがやってきました。


”6年もいるともちろんペラペラだけど、ペラペラじゃない。”

←なんのこっちゃと思われた方が大半だと思う。でもコレが事実。その質問をする人のペラペラがいったいどういったレベルをさすのかを逆に質問してみたい。4年目を過ぎたあたりから英語力にかなりの余裕がでてくる。まわりの言ってる事は大抵理解できるし、自分の言いたい事は伝えられる。でも、日本にいてであった在日5-6年の外国人の日本語がまるで日本人のようなんてそう稀にあるわけでもなく、やはりアクセントや発音でもって話せば話す程英語が第一言語でないことはばれてしまう。たぶんこれから3-5年たってもそれは同じ事だと思う。ただ、毎日の努力次第では、相手に英語が第一言語ではないことがばれること遅らせることは可能かなと思う。



こないだミッチェルの先輩カップルと一緒にディナーに行った際、先輩の彼女(両親は中国からの移民だが、本人はカナダで生まれ育った)のアクセントが強すぎて、ミッチェルが

『ねぇ、本当にカナダで育ったの?こっちの大学でたんだよね?』

なんて何度も聞いてたのを思い出す。(←なんとも失礼なことだけど)でも、ミッチェルに言わせると、会話という分においてあたしの英語もその彼女の英語もたいして差はないと。その彼女、お家ではもちろんマンダリンで、通った学校でも大抵同じナショナリティーを持つ友達とつるんでいたため、カナダで生まれ育った32年間のうち75%をマンダリンで過ごしたという、移民の多いバンクーバーでは特に珍しくない境遇持ち主。ただ、小中高大学はもちろん英語教育なため、アカデミック(学術的な)英語に関してはもちろんネーティブなわけ。

一方あたしの場合、この6年間英語習得は快適に生活するためであり、仕事でもっともっと上のレベルを目指すためであり、生きていくため。大学にもう戻るなんてないから、今更頑張ってTOEFLとか勉強してアカデミック英語を勉強し直すなんてことにあんまり時間を費やしてこなかった訳だ(ただし定期的にとっていたUBCのビジネス専門コースは別)。だから、今も現役ばりばりの大学生である、にこちゃんとかにはたまにひけを感じたことはあったけど、こればかりはしょうがないと開きなおってきたのは事実。これからは、もっともっとあたしなりに考える実用的な英語(基本的な医学用語だとか、人や動物の特徴や性格を表現する形容詞だとか)を勉強していくつもり。

ということで話を本題に移すと、あたしは自分の得意といする分野(取引先やお客さんとのやり取りだとか、同僚との会話とか)においてはペラペラだけど、例えば大学で”古代美術と近代美術の違いを討論せよ”なんて言われた日には、

ペラペラの ぺっ のレベルにも及ばないというわけだ。