『4年間大学に通って、そしてまたさらに1年留学?就活して就職する友達からどんだけ出遅れると思ってんの?』

と親に言われたのが6年前、2004年12月。大学のゼミのみんなの内定が次々に決まる中、自分は留学を選んだ。振り返れば高校入試に大学入試そして就職。全てが競争だったように思う。いきたい高校/大学に合格すれば勝ち組で、いきたくない高校/大学にいくしかないあるいは、いきたかった高校/大学に落ちれば負け組。就職内定なんてのもそれに近いものがある。いい所に就職すれば勝ち組で、内定がなかなかとれず就職難民になると負け組。大学卒業間近にして“あたし留学することにしたんだ”と切り出した時の周りの反応が今でも忘れられない。就職/就活する事から逃げていると思われていたに違いない。それまでとりあえず周りと同じ様に進路を決め、希望通りに進んだつもりだったが、生まれて初めて周りから“負け組”のレッテルを張られた瞬間は、生まれて初めて心の底からやりたいと思ったことをやりたいと口にした瞬間でもあった。

あたしがなぜ留学を決意したのか?


色んな人にその理由を話しても、なかなか理解されない。だけど他人に理解されようが理解されまいがそんな事今更どうだっていい。だって自分は留学決意し、結果留学したんだから。
海外で働く事はずっと小学校時代から憧れてたことでもあった。そのうち、海外で働くにはまず海外で勉強せねばと気づくようになるが、なかなか実行する勇気がなかった。大学時代の友達は次々に休学して語学留学のため海外へ発ち、帰国するとみんな一回りもふた周りも成長してみえた。それでもなかなかその一歩が踏み出せなかったのは、経済的に困難だったこと、海外に住むということにちょっとした恐怖をもっていたこと、そして飼ってた猫達のため。そのうち1匹は10歳から飼っていて、妹っていうか娘みたいな存在だ。その猫の孫にあたる一匹の猫がある日脳腫瘍と診断され、みるみるうちに弱っていく。卒論と就活中のまっただ中、数ヶ月病院に通い看病する毎日が続き、大学生のアルバイトではよそのもっと設備の充実した病院に連れて行き、治る可能性の低い手術を受けさせるのは不可能と判断。安楽死という選択をした。1本目の注射で呼吸を止め、2本目の注射で心臓を止める。1本目の注射の後、その子は元気だった頃のような様子であたしを見つめた。

その後、予想もしなかった程の後悔の嵐に襲われる。安楽死という選択は正しかったのか。そして、大切な存在の死のショックから全くと言っていいほど立ち直れずにいた。他人から見ればただの猫の死。でもあたしの中ではとても重く、悲しく、自分がなんで生きているのか?と問い始める様になる。自分の中で少しずつ大切な存在の死を消化しようとしていく中で、

大切な存在ともいつかは離ればなれになってしまう。人間の年齢に換算するとあたしと同じ歳で死んでしまったその猫が見られなかった“未来”というのを見つめていきたい。そして強くなって生きて行こう。その猫が生きていた証を私の中に残していくためには前に進むしかない。自分が生きているという感覚を味わいたい。自分が夢中になれることを通して、その子の死を乗り越えていこうと決めた時に、“留学”という言葉が頭に浮かぶ。

大学時代の友達からは
『ふつー、飼ってたペットが死んだくらいで就職しないで留学とか決めないよね~』って言われたのを思い出す。でも人とそれぞれで、“たったそれだけのこと”があたしにとっては最大限に自分の命について考えさせられた。そんで、その時のあたしにとっては生きていく事/生きている実感を味わうこと=チャレンジすることであり=留学することだった。
どっかからは『ただの語学留学のくせに何でかそうに言ってるんだ』と言われそうだが、そんなの後の祭り。ただの語学留学から、海外で就職。そしてこうして今がある。
今更ながら“もし~だったら”の話をしてもしょうがないが、きっと在学中に留学していたら、今自分がここでこんなキャリアを積んでいるとは思えないし、駅前留学と現地留学はやはり語学の習得面では天と地の差があるし、単身海外で生活する中で学ぶ事は多い。

“全ての事には理由と原因がある”

けど、それは人それぞれであっていい。思い切ってやってみることって実は一番難関。あの時の自分の決断に全然後悔はないし。もしあのまま周りの流れに乗って、”勝ち組”の仲間入りしたとしても今頃後悔してたはず。