2011年4月2日~5日
この辺、日記がないのですっとばしますwww
とりあえず4月2日~4日はマンギャン族とこころゆくまで現地と溶け込んで楽しみました。
1年前思い出としてもらった子犬が村の人々によって食べられたり、
いろいろショックな出来事があったり、
ラントゥーヤンという川や、天然のプールで遊んだり
滝から飛び降りて遊んだり
焚き木を囲んでWe Are The World歌ったり、
じゅんやさんたちが教えたkiroroのBest Friends歌ったり
Annaとマンギャンの人たちでTANDUAIやらを
コーラで割って飲んだり
Annaも交じってバスケをしたり、
たくさん写真とったり
親友Lemwelに日本語教えたり
でなんだかんだ楽しい毎日を過ごしていました
その間あだっちが病気にかかってて動けなくて
Lemwelの奥さんRonaには食事作ってくれたり
薬くれたりでずっとお世話になってました
てかLemwelの家に夏に研修にきたひとみとおれで
部室で撮った写真が飾られているのにびっくりしました笑
しかし村にいるとき、去年のような耐性がなかったので
飲料水なくなった時はがちで困りました;
川の水を生で飲めないので沸騰させたらなぜか全体的に白っぽい・・・
しょうがないので生で飲んでました笑
とくになんもなかったのでたぶん
僕自身フィリピン人に非常に近いということですね!笑
そして山からの帰り!
超混んでる(ていうか混んでるという概念がわからなくなるくらい)
のジープニーに乗って麓まで帰還!
そしてマニラに戻ったんですが
事件はその翌日におきました。
朝起きてみるとパスポートがない!!!!!!!
必死に探すがないないない!
Annaからお別れのハグとクッキーをもらったんだけどそれどころじゃありませんでした
(ごめんAnnaー)
そしてようやく発見!
正直、もう間に合わないと思ってて自分も日本大使館に行こうか迷ってたレベルだったので
一安心。
後日変える予定のあだっちは残って
最後にチーム解散の握手をしてフィリピンの台地を去りました。
一応TN情報の蓄積と現地アイセッカーへのCEED受け入れの提案という任務はあったけど
全てこなせたし、最後はフリーダムなかんじだったけど
それもフィリピンっぽくてよかったです!!
そして今回思ったのは自分がフィリピンという
気候、風土、食事、あと人たちに適応していること。
将来的にももっとフィリピンとかかわって、
日本とフィリピンをつなぐことのできる人になりたい!
って思いました。
この辺、日記がないのですっとばしますwww
とりあえず4月2日~4日はマンギャン族とこころゆくまで現地と溶け込んで楽しみました。
1年前思い出としてもらった子犬が村の人々によって食べられたり、
いろいろショックな出来事があったり、
ラントゥーヤンという川や、天然のプールで遊んだり
滝から飛び降りて遊んだり
焚き木を囲んでWe Are The World歌ったり、
じゅんやさんたちが教えたkiroroのBest Friends歌ったり
Annaとマンギャンの人たちでTANDUAIやらを
コーラで割って飲んだり
Annaも交じってバスケをしたり、
たくさん写真とったり
親友Lemwelに日本語教えたり
でなんだかんだ楽しい毎日を過ごしていました
その間あだっちが病気にかかってて動けなくて
Lemwelの奥さんRonaには食事作ってくれたり
薬くれたりでずっとお世話になってました
てかLemwelの家に夏に研修にきたひとみとおれで
部室で撮った写真が飾られているのにびっくりしました笑
しかし村にいるとき、去年のような耐性がなかったので
飲料水なくなった時はがちで困りました;
川の水を生で飲めないので沸騰させたらなぜか全体的に白っぽい・・・
しょうがないので生で飲んでました笑
とくになんもなかったのでたぶん
僕自身フィリピン人に非常に近いということですね!笑
そして山からの帰り!
超混んでる(ていうか混んでるという概念がわからなくなるくらい)
のジープニーに乗って麓まで帰還!
そしてマニラに戻ったんですが
事件はその翌日におきました。
朝起きてみるとパスポートがない!!!!!!!
必死に探すがないないない!
Annaからお別れのハグとクッキーをもらったんだけどそれどころじゃありませんでした
(ごめんAnnaー)
そしてようやく発見!
正直、もう間に合わないと思ってて自分も日本大使館に行こうか迷ってたレベルだったので
一安心。
後日変える予定のあだっちは残って
最後にチーム解散の握手をしてフィリピンの台地を去りました。
一応TN情報の蓄積と現地アイセッカーへのCEED受け入れの提案という任務はあったけど
全てこなせたし、最後はフリーダムなかんじだったけど
それもフィリピンっぽくてよかったです!!
そして今回思ったのは自分がフィリピンという
気候、風土、食事、あと人たちに適応していること。
将来的にももっとフィリピンとかかわって、
日本とフィリピンをつなぐことのできる人になりたい!
って思いました。