れいわ新選組のひとりである大西つねき氏が以下のような発言をしたことからややっこしい状態になっている。
大西氏は動画で、「高齢者を長生きさせるのかっていうのは、我々真剣に考える必要があると思いますよ」と語った。その理由を「介護の分野でも医療の分野でも、これだけ人口の比率がおかしくなってる状況の中で、特に上の方の世代があまりに多くなってる状況で、高齢者を……死なせちゃいけないと、長生きさせなきゃいけないっていう、そういう政策を取ってると、これ多くのお金の話じゃなくて、もちろん医療費とか介護料って金はすごくかかるんでしょうけど、これは若者たちの時間の使い方の問題になってきます」と述べた。
さらに「こういう話、たぶん政治家怖くてできないと思いますよ。命の選別するのかとか言われるでしょ。生命選別しないと駄目だと思いますよ、はっきり言いますけど」と、生命の選別を肯定。そして「何でかっていうと、その選択が政治なんですよ。選択しないで、みんなにいいこと言っていても、たぶんそれ現実問題としてたぶん無理なんですよ」と、それが政治であると言い放った。
結論として、「だからそういったことも含めて、順番として、その選択するんであれば、もちろん、高齢の方から逝ってもらうしかないです」と。
サラッと読むと「命の選別」だけがクローズアップされてしまう。
大西氏の言いたいことはそこではない。
「若者たちの時間の使い方」ここに論点がある。
表現の仕方は確かに問題だが、別に大西氏であれ、誰であれ命を軽んじるようなことは基本的にそう思う人間などいない。
ただし「もしも」という仮定的なお話として、こういう考えもあるということ。
私は金融界にいたので、大西氏の気持ちもわからないでもない。
金融界というところは、お金のことだけがすべてな世界なんです。
人間として付き合うというのは、まともであればあるほど絶対に肌の合わない人種たちでもある。
先日もその金融界にいて引退された方とお話したが、いまだにお金をどう儲けるかとそれしかないのだ。
人生=金儲け。
私のような人類の平等思想は、青臭いらしい。
でも私はお金の亡者になるより、青臭いが夢のある生き方の方が好きだ。
人間にはいろんな考えがある。
全員が同じ思想の方がかえって怪しいと思う。
ひとりひとり考え方が違うのは当たり前のことではありませんか。
今回の件は「表現の自由」という見地からすれば、何ら大西氏は悪くはない。
「命の選別」という表現がよくなかったのなら、論点はそこじゃないことをハッキリさせ、表現の仕方のまずかった部分のみ未熟だったと謝罪すれば済む話だと思う。
れいわメンバー「命の選別」発言 山本太郎氏が謝罪
れいわ新選組の山本太郎代表は10日、同党の動画チャンネルで、昨年の参院選比例代表に同党から立候補した大西恒樹氏が「命の選別」を容認する発言をしたとして陳謝した。
山本氏は「生きているだけで価値がある世の中を実現する立党の精神と真逆だ」と発言を批判。山本氏は近く開かれる党の議決機関「総会」に除籍を提案し、対応を協議する考えも示した。
大西氏は、次回も同党から国政選挙に出馬する予定だった。同氏は、インターネットに投稿した動画で「高齢者をどこまで長生きさせるのかを真剣に考える必要がある。命は選別しないとだめだ」などと述べていた。(時事通信)
除名とまで話があるようだが、それじゃ、独裁政権と変わらない。
今こそ「寛容の精神」がれいわ新選組にあると示してもよいのではないか?
れいわ新選組は、そこのところ、もう一度考え直す必要があるかと思う。
私は山本太郎氏の考える経済学も大西つねき氏が考える経済学もどちらもれいわ新選組には必要なものであると考えるからだ。このようなライバルがいて理論はより切磋琢磨されよりよい理論構築へと向かうと信じているからだ。
しかし、所詮人がやること。
どうなるかは私の知るところではない。
ただ仲間の不手際を除名で済ませる方が党の信頼を損ねるように思うのは私だけだろうか。
除名といったって、れいわを応援してない人からすれば、「大西つねきさんって誰?」と思う人の方がはるかに多いと思う。
都知事選で見られるように山本太郎氏のことさえ知らない人が多いのだから・・・。