つづきです

でも、それは私だけの思いではない。
息子より幼く亡くされたなら、せめてランドセルを背負わせてやりたかったと思う。
障害のある子どもさんを亡くされたなら、せめて一度でも自分の足で立たせてやりたかった、色々なものを見せてやりたかったと思うだろう。
大人になって亡くされたとしても、せめて成人式を、恋愛を、孫の顔を… と、せめて、せめてと親の思いは尽きない。
 
この世の中では、たくさんの人が痛みを胸に秘めて必死に生きている。

そしてまた、子どもを育てたいと思いながら子どもをもてない方たちもたくさんいる。
闘病中の子どもさんを必死に支えている方たちもいる。

たくさんの「せめて…」という思いがあふれているに違いない。

息子への「せめて…」の思いが叶わないのならば、私はせめて人の痛みの分かる人間でありたい。