母親に「発達障害」を理解してもらえないこと・・・。
こんな歳になって今まで障がい者なんて言われたら
私はそんな子を産んだとしたら死ぬしかない、と。
そういわれると、親不孝なので、私は口をつぐむしかない。
「違うよ、冗談だよ。ごめんね」と笑顔で返す。
機嫌はなかなか治らない母。
発達障害の話が死ぬほど嫌いな母。
発達障害と知的障害の違いを理解していない母。
でもね、こればかりは仕方のないことだ・・。
これも私の宿命なのだと思う。
親不孝をしたくない。
だから、私は母に発達障害の話をすることを
今日を以てやめることにした。
世の人々は家族に発達障害を受け容れてもらっているというのに、
私は誰一人、この世の中に理解してくれる人がいない・・・。
理解してもらっていても、大変なことは多いけど、
理解してもらえて、そんな自分を受け容れてくれることは
当然ではないのだ。
それを当然のように捉えている発達障害者の方とは
わかりあえないと思う。
それと同じで、私の家の前の子は38歳にして
雨の日は親に車で駅まで送迎してもらっている。
それがあたかも当たり前になっているのだろう。
親や大切な人。
自分の良き理解者が
生涯自分の傍に居てくれるということはない。
悲しい話だが、それが現実である。
だからこそ「感謝の心」が必要なのだと思う。
小さなことに「感謝」できる人になれるように・・・。