このお話は2ヶ月前くらいに書いてたものです。



やっぱり今年のうちに残しておこうと思って‥

この年の瀬に

お家の事やインテリアの事とかじゃなくて、

長い思い出話になりますにっこりあせる






コロナが落ち着いてきたので、

今年大流行するだろう。と言われているインフルと

次のコロナの波の前に飲みに行ってきました。


本当は9月に行くはずだったんだけど、

見事に台風と重なり、前日に泣く泣くキャンセルをしてからのリベンジ!


でも、本当はもっともっとずーっと前に行くはずだったお店。



それは約2年前、

私の職場の看護師さんに教えてもらった街の居酒屋さん。

その看護師さんは、めっちゃくちゃ明るい向日葵のような人だった。



以前、開院記念の時のお話で少し触れてましたが、


今の職場に就職した時、特殊な開院事情のため

私と、同じ受付であるsyさんだけ

他のスタッフの方々と開院まで交流がほとんどなく、


初めての顔合わせの時に、

すでに顔見知りになっているみんなと違って

緊張しながらポツンと2人で佇んでいた。


そんな中、声をかけてくれたのが看護師のFさんでした。


私達より少しお姉さんの彼女は、

先生・患者さん、誰に対しても全く変わらず、

それはそれは元気にお喋りしまくっていて、


私達が少し人見知りをしながら話していたら、

ねぇ、何でそんなにかしこまってると⁈

普通に話せばいいじゃーん爆笑


と、人見知り中の私たちの緊張をほぐしてくれた。


職場外でもそのキャラクターは健在で、

一人娘の部活に力を注いでて、

知り合いがめちゃくちゃ多くて、


私も保育士繋がりで、あの先生知ってる⁉︎あの子知ってる⁉︎とどんどん話が膨らみ、

やっぱり知り合いの知り合い繋がりが広がっていった。


ご飯を食べるのが大好きで、

仲間とランチや飲みに行っては美味しかったお店を写真付きでみんなに教えてくれて、


みんな飲みに行く時は、

まずFさんにリサーチするのが当たり前になっていた。


そんな食べることが大好きな彼女が

胃の調子が悪い。と

言い出した。


最初はみんな、

珍しい〜!とか、食べ過ぎじゃない?

なんて言って、彼女自身も胃薬飲めば治るわ!

って言ってたけど、


一ヶ月経っても

どうかおかしいんだよねー

と胃をさすってた。


胃腸科に行って、胃カメラしてピロリ菌除菌したり、

大きい病院でCT撮ったりしてそれでも原因が分からず‥

彼女本人は至って明るく、

なーんでかなぁ?なーんかおかしいんだよねぇー


と、笑って話すんだけど、

元々痩せ型で太れない体質の彼女は、体重が減っている事をすごく気にしているようだった。


数日後、PETを撮る事になった。と休憩中に聞いた。


母の時、PETというものを知り、

一発でガンが分かるその検査は、私にとってものすごく嫌な思い出で、とても怖いもので、


それをしてくる。という彼女に、その時私は何と言葉をかけたのか、

なぜか全然思い出せない。


ただ、その前に胃カメラも、CTもしてるんだから

きっと大丈夫だよね。。って思ったのは覚えてる。




そして数日後、

お仕事がお休みだった彼女が私服で封筒を手に持ち正面玄関から入ってきた。


お疲れ〜!先生いる?


と、普段通りに。


そして、

「こんにちはー!」


と元気に診察室に入っていった。


でも、私はすごくすごく嫌な予感がしていた。


しばらくして彼女は出てきて、


じゃーねー!爆笑


と、やっぱり普通と何ら変わらず帰っていった。


その日の夕方、先生から呼び出された。



「本人にも許可を貰って伝えてます。」


と前置きがあり、

Fさんの病名が伝えられた。


「スキルス胃がん」


頭が真っ白になり、その後の先生の言葉が入ってこない。


先生は、


ごめんね、びっくりしたね。

でも、彼女はとっても前向きだから

みんなで支えていきましょう。


と言われた。


数日後、彼女が仕事中受付にやってきた。

他に誰もいなくて、声をかけるべきか、どうすればいいか分からず、

きっと挙動不審になっていたんだろう。


「聞いたー?」


と声をかけられ、

ハッと、顔を見上げる私に、


「大丈夫よ!治るから!」


と笑って言った。



それから治療をしながら仕事もこなす日々。


どんなにきつくても絶対に弱音を吐かず、

誰よりも元気で明るく過ごし、


治療の経過を事細かくみんなに話し続け、


手術のため一旦休職し、

その後髪が抜ける抗がん剤に切り替わった時も、


毎回治療後に必ず病院に寄って、

みんなの前で帽子を脱いで、「もうこんなよー!」と話し、


流石にこれじゃ患者さんがビックリするわね、

復帰したらウィッグ被って仕事するわ!

ずれたらちゃんと戻してよね!ウインクと。


気遣わなきゃと思ったりするより、

彼女が変わらず大好きな仕事を続けられるよう、

一緒に病気と向き合っていく!という体制を彼女自身が作ってくれていた。


その後ウィッグが出来たらまたすぐに病院にやって来て、みんなであーだこーだ言いながらセットをし、

そこはもう、笑顔しかなくて、


ちょうど同じ頃に以前ブログに書いた元同僚のAさんも病気と戦っていて、


ある日、Aさんから電話がかかってきて、

YUKAさんとこの看護師さんも治療してるよね?

と言われ、


え?どうして?

と聞いたら、


この間、抗がん剤の時、

めちゃくちゃ元気な人に話しかけられて、

話聞いてたらYUKAさんの職場と同じやったから!

って、


同じ病院で同じ日に治療してるとの事で、

あの底なしの明るさとポジティブシンキングの持ち主のAさんが、

その元気さとポジティブさに驚いていた。


私にとって、

稀に見る明るさとポジティブさを兼ね備えたこの2人の姿は、

どんな素晴らしい言葉よりも、

これから起こる人生の節目節目で

自分の教訓となり、励みになるだろう。


元々の器に加え、究極の時に自分にも他人にも、

何一つ変わらずいれる(変わらずに接してくれる)その天性の明るさと、

人を元気にするパワーは、頭で考えてできる事じゃないけれど、


わたしもそうありたいと、お手本を見せてもらえたような、

いつか、もしもの時に

きっと、彼女達の姿を思い出して

自分を律する日が来るんだろう。と、思ったりしてる。



病気がわかってから最後の出勤日まで、

約3年間。


いや、出勤できなくなってからの数ヶ月の間も、

何度も何度も病院に遊びに来てくれて、

お家にもみんなそれぞれ行って、


年末には車椅子に乗って、管を何本も繋いで、

それでもみんなに会いに来てくれた。



全員満面の笑みで撮ったこの写真の2週間後、

彼女が息を引き取ったと夜中に師長さんから連絡がきた。


本当に仕事が、人が大好きで、


結局最後まで笑い話しかしなくて、


あの時も、今も、

自分だったらあんな風になれるのか‥

と彼女の偉大さをみんなでしみじみ感じてる。



そんな彼女は病気になってからも、

親しい友人達とランチや食事会に出かけ続け、


お昼休憩中にやって来ては、

ここ美味しいよ!ここ行ってみてん!

と携帯見せながら沢山のお店を教えてくれて、


今回行ったお店は、

私とsyさんが休憩中に彼女がやって来て教えてくれたお店。


行く行くー!ってずっと言ってたんだけど、

その後すぐにコロナが爆発的に増えて、

街中にあるお店なのでずっと行けなくて、、


ほんの少ししか食べれなくなってから行ったお店だったから、

「私は少しだけやったけど、めちゃくちゃ美味しかったよ!

ぜひ行って食べてきない!爆笑


って言われて、ずっとずっと気になってた。


行ってきたよ!って報告したくて、

コロナが落ち着いたらって言い続けてるうちに

笑顔のまま逝ってしまった。


あれからもうすぐ一年‥


やっと、

そろそろ街に出てもいいかな。。って、

この機会逃したらまた行けなくなるよね。って、


syさんと一緒に約束の場所へスプーンフォーク


やっとやっと来れたよー。


なんて会話をしながら、


美味しくいただきました。



自分が食べられなくなってからも、

たくさんの写真を見せてくれながら


ここも美味しかったよ!

ここも行ってみて!


って教えてくれて、


私の携帯には、教えてくれた沢山のお店の名前が

メモってあります。


一店一店、制覇していくね!



たくさんたくさん ありがとう。
会えなくなってもうすぐ1年が経ちますね。
また一緒に乾杯したいな〜