こんにちは。
無意識セラピストの神野ゆきえです。
以前のブログでつらつらと「支配されること」についてよく書いていました。
自分自身がまだいろんなことに囚われていましたし、そこから脱出したい逃れたい救出されたいと熱望していました。
だから、私を不快な気分にする人、苦手な人、悪意を向けてくる人、逆に妙に馴れ馴れしい人は意識して遠ざけていました。
視界に入れないようにしたり。
物理的距離を取ったり。
そっけなくしたり。
…でもそれをすればするほど、相手の動向を常に確認していなければらないのでよけいに気になっちゃいました。
これがけっこう面倒くさい。
「支配されたくなーい!人に振り回されたくなーい!」と思えば思うほど、そういった状況がやってきます。
これが意外とストレスフル。
それが変わったのはいつ頃でしょうか。
わりと最近かも。
実はある大きな断捨離をしたんです。
それに執着してこだわって、他のことはどうでもいいからこの願いだけは叶えて欲しいと切望していたんですが。
それが私の本当にやりたいことだと思っていた。
でもそれがもう叶わないとなって。
それに関することすべてを捨てることにしたのです。
そうすると、途端に自分の感覚が変わりました。
どうでもいい。
自分の人生、成功しようが失敗しようがどうでもいい。
人に認められようが認められまいが、どうでもいい。
この一瞬あとに私が生きていようが息絶えようが、どうでもいい。
人に好かれようが嫌われようが、どうでもいい。
お金持ちになろうが貧乏になろうが、どうでもいい。
支配されていようが解放されていようが、どうでもいい。
自分の感覚があろうとなかろうと、どうでもいい。
私はすべてを打ち棄てた。
そこには他人が入る余地がありません。
それがとても心地よくて、そこからあまり他人に興味がなくなったのです。
だから、支配的な人に引きずられず、自分の世界をちゃんと守れているのかも。
なんかごちゃごちゃやっているのはわかるけど、そこにまったく注目が向かない。
自分のことだけをずっと淡々とやっています。
これがほんとの自己中!
あ、支配がなくなるってこういうことか。
不快感がなくなるってこういうことか。
そちらにアンテナが向かない、受信もできなくなっちゃう。
すべての執着を手放すと、支配のための足がかりがなくなっちゃうんだ。
期待や思い込みやこだわりは支配を呼びこんでしまう。
ブッダがすべてを投げ打ったことの感覚を少し感じられているのかも。
なかなか面白い。
今日もお読みいただき、ありがとうございました。
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