【台風直撃キャンプ】ワレ、神津島ヨリ、帰還セズ!後編【どう過ごすのか、帰宅できるか?】※再掲載 | Let's easily go!気楽に☆行こう!

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映画、写真、B級グルメ、格闘技、そして少しばかり日常を語る雑記帳です。

後編の始まり!

 

 

キャンプ場行きのバスがなくなり、がっくりのhitoと4人の仲間たち。

そこへ地元のおじいさんがやってきました。

「何だ、お前ら。バスに乗り遅れたのか」

「うん・・・」

「まったくしょーがねーなぁ。若い連中は!

しっかり時刻表をみろよ!」

後でみんなで話したときですが、この時みんなこのおじいさんに

ムカッ腹が立ってしょうがなかったと言ってました。

しかし、ここでおじいさんが

「よし、バスが戻ってきたらもう一度、.行ってもらうよう頼んでやるよ」

えっ?Σ(゚д゚;)

10分ぐらいしたら別のバスが戻ってきて

先ほどのおじいさんが運転手に話してます。

おじいさん「オーイ、もう一度行ってくれるってよーっ!」

凄え!ここのバスは融通が利くぜ!

 

40年前の話です。今ではこんな融通が利くとは思えません。.

また当時の神津島ではバス停でなくても

通りがかりのバスに向かって手をあげると

乗せてくれました。あれは便利でした♪

(今はやってないと思います)

キャンプ場についたら、かなり暗くなってきていました。

二組に分かれて食事とテントの用意です。


何とか真っ暗になったときには

テント、食事、キャンプファイヤーが整い、

 

これが青春だぜ!


この後は2日ほどキャンプ生活を楽しむ訳ですが

そこはありきたりなのでカットします。

 

天候は晴れ少々でほとんどが曇り。

 

雨は小雨さえもなかったように記憶しています、この段階では。

ただ、お店やバスの運ちゃんから入ってくる

ニュースとしては、強い台風が超スローペースで

近づいてきていることと、当然のことながら

船の寄航のメドがまったく立っていないということでした。


前編にも書きましたが、

連れてきた大学生Eにはアルバイトが決まっていたはず・・・。

Eに「あれ、お前ディズニーランドのバイトがあったんじゃないの?」

E「こんな状況で行かれるわけないじゃん!クビだよ、クビっ!」

いや~スマンコってす。(;´▽`A``


島にきてから2日ほどは天気も良かったんですが

3日目から雨が激しくなってきます。

テントを張ったときは好天だったので

海沿いの眺めのいいところに張ったのが

アダとなり、テントに雨が吹きつけてきます!

ときおり、雨風が矢のように突き刺したりします。

大雨の中、テントの周りに溝を掘って地面から

雨が染みてくるのを防いだりしましたが

全然利かない!

雨が強すぎて火も起こせないので

ご飯が炊けません。缶詰・お菓子、乾き物なんか

ほとんど食べてしまっています。


「hiko、雨が小降りになったら山沿いのほうに

テントを移動しないか。木も多く繁っているから

小降りなら火もつけられるかもしれない」

「うん、そうしよう・・・」


その日、午後から小降りになってきたので

プランどおりテントを移動しようとすると

「hikoーっ!」

買出しにでていた友人が僕を呼びます。

「どうした?」

「さっき行った店の人が言ってたんだけど

山側でキャンプしてた奴らは山からの

山津波(と言っていました。つまり土砂流れ)で

張っていたテント、みんな流されちゃったんだってよ」

マジかよ・・・。

じゃ、ここにいるしかないじゃん。


見る見る食べるものがなくなっていく恐怖・・・

残っているのは袋のインスタントラーメンが3つくらい。

やべ~。

テントシートは雨でビシャビシャ、下もビシャビシャ。


実はこのテント生活のときの記憶がほとんどないんですよ。

雨の中で僕ら5人みんなひたすらテント内で寝てたみたいです。


夜、雨風がさらに強くなってきました。


台風が近づいているのがよーくわかります。

 

凄いよ、映画の台風のシーンみたい。


食事をとらずにいると、まったくやる気もなくなってくるんですね。

朝昼晩と相変わらずみんなで寝ていると

外から懐中電灯で照らされます。

「・・・・なんだ!?」

すると、外から

「おーい!中に誰かいるかあああっ!」

hiko「5人います!」

「待ってろ!今、島の(結婚式で使う)会館に

宿泊できるよう交渉してるからな!がんばれ!」

hiko「はい、ありがとうございますッ!」

外の人たちは別のテントに向かいました。

「hiko、今の人たち・・・なんて言ってたの?」


僕はみんなに話を伝えると

「そうか、なーんだ(全員、笑)」

やっとテント生活から脱出できると全員、安堵。

「hikoもダメだよ~。ハイ!なんて元気に応えちゃ。

もっと死にそうな声で返事しなくちゃ。」

全員、笑い。

そうかもね。


翌朝、なんと雨がやんでいるではないですか!

もう急いで火を起こして、飯ごうでメシ炊きです。

メシがぐつぐつとなると、もう食い盛りですから

飯ごうのそばから誰ひとり離れません。


そのまま、しばらく待っていると

役所の人がやってきました。

「会館での宿泊交渉が成立したので

これからお連れしますので支度をお願いします!」


ヤッホー!!ヽ(゚◇゚ )ノ


「おい、hiko!飯ごうのメシ、どうする!?」

「いいから、飯ごうに入れたまま持って行こう!

向こうで何とか食えるようにするから!」

この炊いたメシが後で「変わった食事だ・・・」と

周りの人たちから言われる変な料理になるとは

誰も思わなかったのです。


あの時はメシより、まず宿でしたね。

助かった!と。

しかし!

宿は確保するも、帰れないのは変わらず。

そしてこのあと、今度は場所を会館内に移して話は続きます。

当時はニュースでも報道された「孤立した神津島」の話の続きは

このあと、すぐ!




神津島・前浜海岸での1枚。

後ろに立つ左から二人目の男が僕(hiko)です。



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さて、神津島の役人さんに車で連れていかれたのが

大きな旅館みたいなところ。

そこは島で唯一(当時)、「結婚式場」として使われている場所だそうです。

(今は他にもできたかもしれませんが)


通された部屋は大広間、超デカいっす!

すでに避難している人たちでいっぱい。

何人いたかハッキリ覚えていませんが

100人ほどいたかな~。

学生ばかりでなく、家族連れも多かったですね。


しかし、畳の上で転げまわれますが

当たり前のことながら、布団なし!食事なし!

でございました。でも水と火が使い放題なのは

ありがたかった!


寝床が決まると腹が減ります。

「hiko、メシどうする?」

「何があったっけ?」

「インスタントラーメンとさっき炊いたメシ」

「じゃあラーメン作ってプラス冷や飯だな」

すると大学生Eが・・・

「hiko、ラーメンライスにすればいいじゃん」

「ラーメンとご飯だろ」

「違うよ!ラーメンの中にゴハンを入れたやつだよ。

すごく美味いの知らないの?」

「ええ~、それ知らない。じゃあ作ってよ」

とりあえず2人前を作ってもらうことにしました。


で台所をEに任せて部屋に戻り、僕は友達としばし談笑。

数分後、僕(hiko)は様子を見に台所へ歩いていくと

台所からでてくる、よそのおばちゃん二人が

「あれ、すごく変わってる(料理)ね・・・」と

言葉を漏らしたのを僕は聞き逃しませんでした。

Eのところに行くと鍋のインスタントラーメンに

飯ごうのメシをぶち込んだものを

ぐつぐつ煮込んでおり、それはまるで

おじやの中に大量の麺をブチ込んで煮込んだような
 
大変奇妙な鍋物(?)ができていました。

(スープは飯がほとんど吸っちゃってなくなっている)

hiko「こ、これが・・・ラーメンライス?」

E「・・・(無言)」

想像しているものと明らかに違ったようでした。

hiko「つくっちゃったから、これはこれでしょうがない。

もう食い物がないから、これはH(自営業)とN(大学生)とA(公務員)に

 

食べさせて、おれらは冷や飯のままでいいから別にして食べようよ」

E「・・・・(こくりと頷く)」


ラーメンライスをHとNの元に運んだら

「ええ~~ッ!」「これを食べるのかッ!」

もの凄く不評でしたが、他に食べるものがないから

ちゃんと食べました。

ラーメンライスを食べてるとラーメンの匂いにつられて

周りの奥様たちが何を作ったんだろうと見にきたりしますが

食べてるものを見た瞬間に戻っていきました。(笑)


しかし10分後、ラーメンと冷や飯を別にして

食べてた僕らがブーブー言われたのは言うまでもない。


とにかく食べるものが完全に底をつき

外の雨がやんだときを狙って買出しに出かけました。

それで近くの「よろずや」に入ると・・・

ああ!無い・・・食べるものが完全になくなっていました!

お菓子、缶詰はもちろん肉野菜・・・本当に

なにも残ってないんです!

カラッポ・・・。

店の人に聞いても、他の店でもまったく同じ状況だと言います。


帰京後に知ったんですが、台風の接近で

島から帰れない大勢の人が取り残されていたのは

もちろんですが、台風が超スローペースで移動しているため

食料物資を伊豆諸島に届けられなくなっていて、

中でも神津島の状況が一番深刻だったとニュースで

放送していたとのことでした。


実はこのあたりから帰京するまでほとんど

記憶が飛んでいるんですよ。


何を食べて、どう過ごしていたのか・・・

ただ、ハッキリ覚えているのが2つ。



畳の大広間に避難できた喜びから

若い連中があっちこっちでプロレスを始めて

管理人から超ド級の大目玉をくらったこと!

「あなたたちは避難でここに来てるんでしょう!

何、プロレスやってるんですかっ!

そんなことをするなら出て行ってくださいっ!」

その後はみんな、信じられないくらい大人しくなりました。


そしてお金もつきて、どうしようかと考えていたら

友達の公務員Aが自分の上司に電話して

翌日ぐらいに郵便局員がお金を持ってきたことです。

上司に電話して「金を送れ」は、あまりないことでしょうね。(笑)


そんなこんなで台風も無事通過し、

船が来る知らせが入りました。

「ヤッホーッ!」

しかし船には当日分のチケットを

持っている人が優先的に乗れるということで

避難組は「あ~あ・・・」でした。


しかし!

 

 

なんと!


結婚式場でプロレスする連中は早く追い出しちゃえ!

とばかりに、役所が頑張ってくれたようで

なんと第1便に乗り込むことができました!

役所の力、スゲエーッ!!


帰りの船から見た神津島が、

台風一過ということもあり

好天でめちゃくちゃ綺麗だったなあ(遠い目)

一緒にいた友達も

「神津島って、あんなに綺麗だったんだ・・・」



本当はもう一度行ってみたい神津島。

いつか、また。

きっと、また・・・。



◇避難した結婚式場で女性や子供たちを除いた

一部のアフォな人たちの集合写真。

分からないでしょうけど、僕も写っていますよ♪

(写っている人はみんな、避難民です)

 



間違いなく僕、hikoの青春の1ページでした。

 

 

追記。

 

この神津島メンバーの一人、大学生Eは後に某県の大学教授になっていました。

 

本も数冊出しています。

 

その情報を元に神津島メンバーの自営業Hが調べてメールを送って見たところ

 

返信が届きました。『そのH君の名前は知っていますが・・・』

 

名前をかたった迷惑メールでないかと疑われ、今回掲載した神津島で

 

撮った写真を送信してやっと信じてもらえたとのこと。

 

 

【サービスカット】

 

親愛なる淑女読者様へのサービスカット。神津島での1枚。

 

向かって左の腰に手を当ててるのが僕(hiko)です☆

 

 

 

【今回の神津島参加メンバーの現在】

 

・大学生E・・・大学教授となる。結婚し子宝に恵まれる。

 

・自営業H・・・家業を父親から受け継ぎ現在に至る。結婚。

 

・公務員A・・・結婚し、千葉県某所に引っ越す。子宝あり、現在不明。

 

・大学生N・・・後に東証一部上場企業の某県支店長になるも、転職し

 

        某社にて営業活動中。国際結婚し子宝に恵まれるも離婚。

 

・hiko(僕)・・・現在東京の某大学で教職員として働くも相変わらず

 

        気ままな生活を送る。未婚。

 

         良い女性がいたら紹介してください。ただし・・・

 

         貯金はありません! (; ・`ω・´) ビシッ

 

 

 

 

 

太陽がいっぱい

 

 

 

ダブ

 

 

 

 

イルカの日

 

 

 

 

 

OO7サンダーボール作戦

 

 

ラストの長いハイノートを得意の大音声で歌いきったジョーンズは、

頭に血が上ってその場に卒倒してしまった。(ウィキペディアより)

 

 

おもいでの夏