今年の母の日は、
祖母の一周忌です。
今日はその事を書き留めておこうと思います。
私は昨年、初めて身内を亡くしました。
実家の祖母。
産まれてからずっと一緒に暮らしてきた
(といっても、私は高校生で実家を離れたので
15歳からは同居ではなかったんだけど)
実家に帰ればいつもいる存在だった人を、
初めて亡くしました。
昨年はまだコロナ禍で…
私は県外在住者だったので、病院には入れず。
2月に入院して、肝機能の数値が悪いとの事で、入院。
一時的に退院できたのが4月の終わり。
でも、治療で寝たきりになってしまい、結局体力が回復しなくて、家でみることが難しく再入院。。
一時的に退院した頃、本当は帰る計画を立てていた私。
だけど、、、妊娠初期で免疫機能が下がりめちゃくちゃ大風邪を引いてしまって、、
帰るのを断念したんです。。
今となっては、そこが生きて祖母に会える、
最後のチャンスだったのに。
結局誤嚥性肺炎で、昨年の5/8に亡くなりました。
ゴールデンウィークの後半に、実家に帰っていたから、ずっといつでも面会に行ける状況ではあったけど、、会えなかった。
容態が不安定なのもあり、亡くなる1時間前に病院から『明日院長に確認して、同居家族だけ面会許可できるようにします』って電話連絡があったばかりだったのに。
叔母(父の妹)は県内在住だけど、
コロナ禍で市内が感染者が多く出ていたので、
叔母も面会許可がおりなかった。
急変したりしたら、面会出来ますって
言われたけど、、
急変してから呼んだって誰も間に合わないよ。
まだ意識がハッキリしてるうちに、まだ分かるうちに会わせてほしかった。
せめて、祖母からして子供たち(父と叔母)にだけでも面会許可してほしかったって今でも思う。
人生の最期、どんな風に逝きたいか
誰に看取ってほしいかって、すごくすごく
重要な事じゃないかなって感じた。
叔母は、新聞に訃報を載せる事も、
地域のオフトークで流すことも嫌がった。
そのため、祖母が亡くなった事は
父が知らせたい人にだけ電話で伝える事になった。
私はここにも疑問を感じた。
亡くなった事を受け止めたくない。
新聞とかでも目にしたくないし、
それを見て知った人が、電話してくる事も嫌だというのが載せたくない理由と聞かされた。
でも…私は…
本人が亡くなった事実を伝えられない以上、
遺された者が亡くなった事実を周囲に伝える事に
意味があるのではないかって感じたの。
上手く言葉で表現できていないかもしれないのだけど、、
その人が亡くなった事まで伝える事が
その人の生きた証のような気がしたの。
人間、遅かれ早かれ絶対死ぬでしょ?
ずーっとずーっと不老不死で生きてる人は
この世に存在しないもの。
だから、きちんと亡くなった事まで伝えてあげなかった事は、ちょっと孫の私としては悔やまれた。
だって、祖母の死を知らない人は、今でも祖母は生きてると思ってるってことになるから。
天使ママサポートにおいて、
アンズスマイルの押尾亜哉さんは天使届というものを作成されているし、
どなたか忘れてしまったのだけど、
喪中はがきという形で、私たちの赤ちゃんがお空に帰りましたっていう内容のはがきをデザインされていたり。
私はとっても素敵な取り組みだなって思った。
自分の大事な人の存在を知らせたいと思うのは
至極当然の事だと思う。
私自身は赤ちゃんは妊娠初期にしか亡くした経験がないんだけど、大事な人を亡くすという事において、共通点はたくさんある気がしたそんな1年前です。
今日も最後までお読み頂き、
ありがとうございました♡