『そう、これは弱い民の祈りだな』

雪に閉ざされた龍臥亭に、八年前のあの事件の関係者が再び集まった。
雪中から発見された行き倒れの死体と、衆人環視の神社から神隠しのように消えた巫女の謎。貝繁村に伝わる「森孝魔王」の伝説との不思議な符号は、何を意味するのか?
龍臥亭を覆う幻想の霧――ミステリーの巨匠が放つロマネスク本格が、いま、その幕を開ける。


因習が歴史の闇として色濃く残る片田舎の山村では、長らく家柄や仕来りが全てを支配し、民衆を見えない柵や制約で固く縛り付けてきた。美しい自然とは対照的に、人々の心に渦巻く辛苦はただ内に深く秘められ、苦難を耐え忍ぶこと以外には何も許されていなかった。
弱い者は権力を持つ者の、残酷でいて惨い仕打ちを怯えるように堪えながら、何とか日々の生活を慎ましくも質素に暮らさざるを得ない。それが――過去からの長い歴史が延々と続けてきた、絶え間無き無情な繰り返しであり、現在でも僅かながらに残る確かな現実で、苦しい窮状を抱える者達の中には、決して他人には公に知られたくない秘事を、密かに胸の内に留めながら生活する者も少なくは無かった。

かつて、彼の地を実質的に支配していた森孝が齎した、猟奇的な事件である「森孝魔王」伝説。その古の凄惨な出来事が、現在でも根強く信仰されている片田舎の地。そこでの人々の暮らしぶりは、一般的な農村とは趣が異なる、過去の陰惨な歴史に縛られた独特の生活感が滲み出ている。

再び貝繁村に訪れることになった石岡は、数年前に体験した「龍臥亭事件」の忌まわしい記憶も、当時親しくなった人達との懐かしい邂逅で徐々に自然と色褪せていくのかと思われた。だが、その矢先、到底思いも及びつかないような、不思議な状況の死体が発見される。それは不可解としか表現出来ない、神懸り的かつ奇妙な現象ともいうべき、まるで奇術のような唐突な死体出現だった。

御手洗が側にいない石岡は、再びこの貝繁村で、天才の手を借りずに自身の力だけで事件の解明をしなければならない事態に迫られる。
歴史の深い因縁から逃れられない土地から、壮絶な過去の記憶という怨念を振り払う為には、はたして何が必要なのか――。
かつては少女だった里見の助けを借りながら、石岡は奇怪で複雑な事件の真相に辿り着くことが出来るのだろうか――。

伝説との奇妙な符号と、龍臥亭を覆う幻想の霧は、どのような意味を持ち、何を示すというのだろう。未だ、全てを包み込む深い霧は、真実を奥底に隠すのみで、壮絶な事件の全貌は何も語られてはいない――。


『みな、歯をくいしばって黙っとる。堪えとるんよ、じっと』


龍臥亭幻想(上) (光文社文庫)/島田 荘司

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#関連リンク→島田荘司 「龍臥亭幻想 (下)」

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