1330、まず第1編隊の12機がソルクを離陸、数分後に第2編隊の13機が出発しました。第1編隊は1機が引き返しましただけで全機が爆撃に成功、帰投しましたが、第2編隊の方は思わぬ故障が続発しました。
離陸直後に吹き付けて来た砂嵐の為、エンジンに砂を吸い込んで不調となりました7機が直ぐに舞い戻りました。残りの6機のうち2機は酸素マスクの故障で失神者を出して脱落、帰投しましたので、残るは4機だけであります。編隊長も副編隊長も抜けましたので、初陣のハットンが編隊の先頭に立ちます。
だが1950にソレント(ナポリ南方30マイル)上空に達しました時は、日がとっぷりと暮れ、爆撃照準は困難となっていました。ハットンは出撃前に市街地を爆撃するなと戒められていましたので、今から攻撃するのは危ない、と判断しましたのか、爆撃中止を決意しまして編隊を解き、帰投コースに付きました。
帰りは予定通り単機ずつになりましたが、2機はシシリー島のカタニア港に投弾、他の2機は地中海に爆弾を捨てています。そしてアイオヴィン中尉機はマルタ島のイギリス軍基地に不時着、スウォーナー中尉機は2245にウォーレイ中尉機は2310にソルク基地に着陸しました。残るはハットン中尉機だけでありました。