「命はひとつ 人生は一回 だから 命を捨てないようにね
(中略)
青くなって 尻込みなさい 逃げなさい 隠れなさい」
この歌は、もう何年前になるのだろうか。
私は「懐かしい」といわれる時代になってはじめて聴いた世代です。
たぶん、中学のころ。
もう、”フォークソング”が死語になる時代でした。
加川良さんがとつとつと歌う歌の内容は、まさしく反戦です。
自分の命、代えがたい命。
お国のために投げ出すなんて・・・。もしそういわれたら、逃げましょう。隠れましょう。
・・・強烈なメッセージの歌でした。
この歌をはじめて聴いたとき、もう世の中は第二次世界大戦の欠片もなくて、だから、あんまりリアル感を抱くことはできなくて。
でも、おぼろげに「そうか、逃げちゃえばいいんだ・・・」って、国に逆らうことの勇気を教えられた気がしました。
時は流れて、現代の日本。
国民は国に逆らうことにすっかり慣れてしまって・・・。
反対を唱えるときの勇気とか、律儀とか、真実とか・・・。
自分を「律する」ことをせずとも、国にたやすく背けちゃう時代になってしまったような気がします。
でも、その権利がすべて正しい「反旗」には思えなくて。
権利と義務のバランスが崩れきっているような気がしています。
昔は国が絶対だったんだろうな・・・と思うと、国に逆らえる今の現状は、住みやすくなったのか住みにくくなったのか、判断も難しいですね。
ただ、ひとつ言える事は、もし、この歌を歌わなければならない時代が来たときは、
「逃げなさい 隠れなさい」
ではなく
「戦争はしてはいけない」って、もっと能動的に歌えることが許されているということ。
でも、そんな歌が流れる世の中に、してはいけないのだけれど。
絶対にしてはいけないのだけれど。
7年前の911テロの事件。
アメリカのツインビルに飛び込んで行く旅客機。
テレビで惨劇を伝えたとき、日本人もみな「なんてことだ・・・。」と、犯人の狂気の沙汰振りに呆然としたと思います。
でも、たった60年前、日本人は特攻機もろとも、敵艦に突っ込んで行く狂気の沙汰を、「よくやった」と賛辞していたのもまた事実。
宗教と国の違いはあれ、マインドコントロールで「狂気」は培われてしまう。
アメリカが日本に様々なコントロールを仕掛けてきていることは、もう国民誰もが周知の事実だと思うけれど。
外資系産業の積極的導入も、郵政民営化も、裁判員制度も、終身雇用制の廃止も、すべてアメリカのコントロールに過ぎない。
日本は仕組まれたスイッチを押すだけ。
なぜ、これほどまでに極貧日本にアメリカがコントロールを仕掛けてくるのか。
それは、日本人の精神の一端に「わが身を捨てる覚悟」がいつでも備わっていることなんじゃないのかって思う。
切腹で我が罪を償えてしまう、特攻機で敵艦に突っ込むことができてしまう、その、「捨て身の精神」が、アメリカが日本を恐れる原因のひとつなんじゃないのかなって思ったりしています。
つまり戦争大好き大国アメリカが、今後の戦争に備えて、日本の「捨て身精神」を潰しにかかっているんじゃないのかと。
でも、アメリカのコントロールのおかげで、日本人には自害よりも他害の道を選び始めてしまいました。
おそらく、次に戦争が起こった場合、腑抜け日本人のために、日本は己の国さえ守ることができない民族に成り下がってしまっているような気がしています。
「教訓Ⅰ」が歌われた時代は、日本人に無意識のうちに備わっていた「捨て身精神」が蔓延していたからこそ、歌の存在意義もあったのではないかと。
今は「神風特攻隊のように」と叫ばなければならない時代になってしまったんだということなんだろうな・・・って。
もちろん、戦争は反対です。絶対に反対です。
ただ、アメリカに腑抜けにされた日本人の精神を誰かが殴りつけなければならない時代になってしまったのではないのかなと思ったしだいです。
「神風特攻隊」にはファンの中でも、賛否が分かれるところだとは思うけれど。
私はこんな風に解釈しながら聞いています。
・・・・なんだか、堅苦しい内容になってしまいましたねぇ。
そんなつもりで書き始めたわけじゃないんだけど^^;
なんだか、危ない記事になってしまったですね。
もちろん私自身は、右でも左でも、宗教に入っているわけでもないですから、どうぞご安心を^^;
どうぞ、ゆる~く捕らえてください^^;