訪 問 日:平成21年5月24日(2回目)&平成22年2月4日(3回目) 主な城主:四条彦次郎(北条氏家臣) 解説板等:解説板&石碑あり(画像参照)
↓今回は、るなさんのリクエストで成瀬城をご紹介 ヾ(´・ω・`) ご覧のとおり、公園です…って言うかゴルフ禁止って、警告必要あるのかな??(´へ `)


~成瀬城解説板より 一部修正~
成瀬城跡 成瀬城は、恩田川に面し、中世の主要道であった鎌倉街道を北東に見下ろす台地の先端に築城されています。宅地開発の影響で往時の面影はありませんが、城の東西は谷に面していました。 昭和48年(1973年)に町田市教育委員会、平成元年年(1989年)及び平成2年(1990年)には市民が主体となって結成された「成瀬城を調べる会」により発掘調査が行われ、鉄砲玉、銭貨(至道元宝)などが出土しました。 現在も公園の南端に残る空堀(A)は幅3~5m、深さ1m未満で東西に40mほど確認されており、西側は谷に向かって下る空堀(C)へ、東側は空堀(B)へと連なっています。西側から北側には土塁が巡らされていたと推定され、空堀(A)を南限と仮定すると曲輪の面積は約2,600㎡となります。 なお、空堀(A)の南方約50mにも東西に走る空堀があったと云われており、2つの曲輪をもつ複郭式城郭であった可能性もあります。また、大門(大手門)跡、櫓台跡、井戸跡(復元)も伝承されています。 成瀬城に関する沿革は不明ですが、南西約300mの地区には『城山の麓に構築された城主の居館』を意味する「根小屋」という小字名がかつて存在していました。また、南東約1kmにあった経塚からは武運長久、息災延命を祈願した「天文4年(1535年)11月 日 四条彦次郎」の銘が記された経筒が出土しており、成瀬城と関連がある有力武士と推定されています。
↓石碑は以前と同じですが、解説板が平成20年(2008年)に新しい物に変わりましたよd(≧▽≦)


↓解説板の文章と一緒に見ると、空堀の位置関係が解りますね(^^)v


↓これが櫓台跡…って、ホントに「跡」だな…Σ( ̄ロ ̄lll)


↓これが成瀬城最大の見所!!井戸跡(復元)で~す!「ゴルフ禁止」よりも「キャンプファイヤー禁止」の方が適正なんじゃないか?( ̄▽ ̄)


↓もう1箇所、成瀬城比定地とされている松葉公園にも攻め込みましたが、解説板などは見当たらず、地形的にもどっちが正解なのか判断するのは困難です(´~`) 雰囲気はあるんですけどね~


ここからはアーカイブス画像&3回目の攻略で追加撮影してきた画像です
↓まずは1990年(平成2年)に製作された旧解説板!平成17年(2005年)の初攻略時には現役でした


↓こんな年表形式の記述もありました 成瀬城っていうか成瀬領の歴史なんですけどね><


↓これは3回目の攻略時に追加撮影した空堀(A)跡 自分自身に「これは空堀なんだ…絶対に空堀なんだ!」と言い聞かせながらシャッターを押しましたヾ(;´▽`A


↓これも追加撮影画像 大門跡(爆)だそうな…( ̄へ ̄|||)


まあ、この成瀬城を3回攻略する人間も珍しいでしょうね~
2回目は松葉公園の攻略と新たな解説板の撮影がメインでしたが、現地でこの解説板をロクに読んでおらず、帰宅後に空堀やら大門跡やらといった記述を発見し、まさかの3回目の出陣を要することになってしまいましたが、お陰でカーナビに目的地セットしなくても到着できるようになりました^^
デジカメのバッテリー残量が少なかったため、松葉公園の画像は案内図1枚になってしまいましたが「こっちが本物の城跡だよ」と言われてしまうと「そうか!そうだったんだ!σ(-c_,-´。)」と思わず唸ってしまうような雰囲気がありましたよ(・∀・)
ただ、築城するとすれば恩多川に面した場所の方を選ぶでしょうし、鉄砲玉等が出土していることからしても城山公園の方に軍配が上がるのではないでしょうか?
城山公園には駐車場がありませんので、車利用の方は「速攻」の必要性があります…が、遺構はご覧のとおりの状況ですので、石碑&解説板の撮影だけで十分!自己責任駐車の参考になさってください( ̄ー ̄)
次回の記事は前編&後編の超大作?の予感?です