誰でもよくわきまえておかねばならぬ点が一つある。

今日の外面的な文明の中にひたって生きている人が

超感覚的な諸世界を認識できるようになるのは非常に困難だということである。

余程精力的に自己への働きかけを行うのでなければ、それはほとんど不可能である。

 

批判の時代になると、理想的なものがひきづり下され、

人々の心の中で、別の感情が尊敬、畏敬、崇拝、讃仰の代わりを占めるようになった。

 

その結果、畏敬の感情はますます背後においやられ、

日常生活の中では非常にわずかな程度にしか働こうとしていない。

 

だから超感覚的認識を求める人々はこの感情を自分で自分の中に生み出す努力を

重ねなければならない。

そして自分の魂をこの感情で充たさねばならない。

このことは勉学によっては達成されない。その達成は生活を通してのみ可能となる。

 

したがって神秘学徒たらんとする人は、畏敬の気分に向けて真剣に

自己を教育しなければならない。

そして讃美と崇敬の対象となりうるものを、環境や体験のいたるところに探し求めねばならない。

 

誰かと出会い、その人の弱点を非難するとき、私は自分で自分の中の高次の

認識能力を奪っている。愛をもってその人の長所に心を向けようとするとき、私はこの能力を貯える。