暖かい春の日の事です。
近所の幼い子供たちがお寺の庭で遊んでいました。
そのうちに、一人の男の子が、何でもないのに転んで泣き出しました。
すると、女の子が、泣いている男の子のそばにかけよりました。
こんな場合二つのやり方があります。
一つは、だまって起こしてあげること。
一つは、『さあ起きなさい』とはげましてあげること
女の子が、このどちらをするのかと見ていますと、意外にも、女の子は、男の子のそばに自分も、コロンと転んだのです。
そして男の子の顔を見て、ニッコリ笑いました。
すると泣き虫坊やも、目に一杯涙をためたまま、ニコッと笑ったのです。
そこで女の子は言いました。『起きようか』、『うん』男の子はうなずいて、そのまま起き上がったのです。
何とすばらしいやり方ではないでしょうか。
自分も一緒に転んで、相手と同じ立場に立って、『起きようか』と呼びかけました。
それは命令でもなければ、単なる激励でもありません。
相手と同じ苦しみを持ち、その中から、共々に立ち上がろうという願いだったのです。
本当の愛は、まず相手の立場になって、相手を理解することから始まります。
相手の立場を考えられなければ、たとえ親切のつもりでも、『おせっかい』になったり、『恩着せ』になってしまうことがあります。
ほほえみ観音は相手の立場に立って、共々に立ち上らせようという願いを持っています。
この女の子はまさしく観音さまのような働きをされましたね。
素敵ですね。