これは、本当の上農は、草と言う外の世界の刺激に使命や役割で草を取るのではなく、取るべき時が来たから、働く喜びで、草を取るのです。


中農は草が伸びて、その刺激に使命や役割で仕方がないから草を取るのです。


下農は草が生えたと気がついて、仕方がない、明日取ろう、と先延ばしするのです。


外の世界の縁に振り回されて働くのではなく、自己の主体性によって、外の世界との関係に自由に働くのが生きた心ではないでしょうか。