私たちはいつも、この広い世界に自分という人間が誰の世話にもならず独立して生きていると考え、自分の考えは常に正しいと信じ、また、世界は自分を中心に回っていると思い込んでいます。


こうして自分に執着することを「我執」と言いますが、これが「あるがままに観る」ことを妨げる最大の原因です。


あの人は良い人だ、という時はたいてい「自分にとって都合のいい人」であり、「あの人は駄目な人だ」というのは「自分に利益をもたらさない人」という場合が多いのではないでしょうか。



同じように、「可愛い」と「憎らしい」とを分け、「きれい」「きたない」を分けるのも、結局は自分というモノサシで計っているのでしょう。


このように、物事を自分の都合で分けて見ることを「分別」といいます。


日常の生活の中では、「分別がある」のは良いこととされ、「無分別なことをするな」といましめられます。


しかし、この分別が迷いの根源であり、あらゆる苦悩を生み出す元であります。


「心の眼を開き、智慧を進める」ことによって、この世に存在する全てのものは、互いに因となり縁となって大きな繋がりの中に存在しているのであって、そこに価値の上下がない、という世界観が現れてくるのです。