『百尺竿頭(ひゃくしゃくかんとう)に一歩を進み』という禅の言葉があります。


長い修行の道で、もうこれ以上一歩も進めない先端の先端まで至ったとき、さてどうするか、という禅問答です。


その時、ここがゴールだと思って安住してしまったら、そこには悟りはない。

百尺の竿の先をさらに一歩足を踏み出して、未知の世界に身体ごと投じたところに本当の悟りはある、というのです。


大人は何事にでもすぐに結論を求めてしまい、分かる範囲の中で分かったつもりになって生きています。


しかし分かるということは、本当の意味で分かっているのではなく、未知の世界に対して目を閉ざしてしまうことではないでしょうか。

『もう無理だ』『おしまいだ』と。自分で行き止まりを設けてしまっているような気がします。