(比叡山で名前が変わりました。圓弘(えんこう))

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その後比叡山での厳しい修行もおわり、

愛知県のお寺で新しい師について10年間修行ををしていました。

不安でいっぱいの10年間は真っ暗闇の中にいるような気がしてました。

そして今から8年前(41)に住職になりました。

途中34歳で結婚するまでに婚約解消などがありましたが、結婚して男の子が生まれました。

生まれてすぐ病気が判明して救急車で大学病院で緊急手術をするため運ばれていきました。

私自身、目の前が真っ暗になってしまいました。

そして手術前に子供に会いにいった時に初めて見る出来事でありました。

8ヶ月ぐらいで生まれた子供や、脳に障害がある子供さんや多くの赤ちゃんが保育器の中にいました。

それでも面会にくる親たちは明るくふるまっていました。

自分の子供も含め一生懸命生きようとしている赤ちゃんたちを思うと、初めて病院の帰りに車の中で嗚咽のように泣き叫びました。

情けないお父さんだよな。

どうして、やれることもできない、ふがいなさが、ひしひしと感じました。

こんなにかわいいあかちゃん達の人生を考えると、涙が止め処もなく流れました。

私の子供は、その後、4度ほど手術をしました。

「大阪弁で言うと生きてるだけでもうけもん」、生きてるだけでありがたく、毎日生まれてきて有難うと言ってます。

でも私の心の中にはまだとめどもない名誉欲があり、成功者になり仏教会のトップを狙ってました。

そして6年前に1000人いる青年僧侶会の代表になりました。

僧侶の世界で言うと出世街道を走っていました。

でもいざなってみると、ただむなしく、心身疲れはてていました。

これが本当に私がしたいことだったのだろうか?

そして次の年、本当に親切にしていただいた先輩僧侶が自殺してしまい、ここで漸く気づきました。

たぶんこのまま私も進んで行ったら同じようになるのではと。

先輩が教えてくれたような気がします。

成功と成幸とは違うことを。

ようやく明るい光が観えてきました。


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一休さん(一休禅師)は亡くなる寸前、弟子に遺言を書きました。

そして「本当に困り果てたときに、これを見なさい」と手渡し、臨終したそうです。

その後、弟子が、困り果ててどうしようもなくなったとき、そのことを思い出し恐る恐る開けたそうです。

それには、こう書いてありました。


「心配するな、なんとかなる」・・・

人生なんとかなるものですね。

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