(僧侶になり観弘(かんこう)に名前がかわりました。)
このままではどんどん底なしの沼に落ちて行くような気がしていました。
ちょうど母方の祖父が愛知県から京都のお寺に入る事になり、大学にも行く事ができるので、僧侶の道を選びました。
その後、短大、そして4年生大学に編入して、学校に行きながら修行をしておりました。
祖父は私に対して明治の頃の教え方で仏教をたたき込みました
最初は鬼かと思うぐらい怖かったです。
夜7時になりますと、火鉢の前に座り、ひらがなのない旧漢字だらけのお経を読む練習をしてました。
でも今思うと。早く一人前にしたくて、鬼になったのだと。
感謝できないほどの愛で支えていただきました。
そんな祖父や祖母も今は亡くなっています。
大学を卒業してから1年ぶりに友達が会いにきてくれたのですが、その時、私はお寺の仕事の事で忙しく心を亡くしておりました。
以前からよく笑う友達でありましたが、その1ヶ月後に自殺をしてしまいました。
その時は笑ってはいましたが目の奥のさみしさに気づいてあげられなかったのです。
良寛さんがこんな詩を書き残しています。
「君看よ双眼の色 語らざるは憂ひ無きに似たり」(見た目にはにこやかな顔をしているが、深く観て行くと瞳の奥に悲しみを背負っている)良寛さんの詩です。
もっと相手の深い部分を観なければと。
このまま祖父であります90歳近くになる師を頼ることに申し訳がなく思っていた所の出来事でした。
私は後悔の念にかられもう一度修行のやり直しをしたくなり、1から比叡山で修行をやり直すため1人で行きました。
比叡山に行くということは、今までの階級もなくなり、1からのスタートです。
27歳の時です。
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