あなたのズルいところ | お寺と神仏のほどけるはなし

お寺と神仏のほどけるはなし

成田山八王子分院 傳法院にて、護摩祈祷とよろず相談をしている真言密教の尼僧です。仏教はあなたの中の「きまりをゆるめる」宗教。そのお手伝いをしています。

似たような年齢の友人が、自分よりも良さそうな仕事をしてたり、良さそうな生活をしてたり、パートナーシップや親子関係が良さそうに見えたりすると、自分のことをこれじゃダメだと思ったりしませんか?

私は以前、猛烈に思いましたよ。
早くなんとかしなきゃって焦っていました。

人と比べてしまう…
これ、小学校からずーっと比較されて優劣つけられてとやられてきましたから、染み付いちゃってるのですよね。
そして、みんなと違うところがあると許されない空気があったりしたものだから、それにも慣らされてて、ある一定の枠の中でなんとか結果を出さなきゃ、って無駄な努力をしてしまうのです。


ホントは「自分がこれでいい」と思えたらそれ以上は何もなくて、他人から認められる必要って無いのですよ。

だから、人より優ってる必要ないし、あの人と同じように立派な仕事しなきゃ、とかちゃんとした結婚しなきゃとか、思う必要ない。

誰かから見たら、『あなた、まだまだじゃん。負けてるじゃん。その完成度で人前に出るなんてありえないわー』と思われてたとしても、
自分が『今はこれでよし』と思えるならそれで良いわけなのです。

と言うか、それしかないのね
自分が認めて受容れるしか、心の平安ってないし、
他人から見て『凄いなこの人!私はとてもあんな風にできない。すばらしい!』と絶賛されてたとしても、自分が全然認められなくて、受け容れられなかったら幸せも安心もないのね。


それでね、
本当に幸せな人って「私、幸せです!」って言わないのよ。
本当に家族間がうまく行ってる人って「うちの家族、仲良しなんです!」って言わない。
お仕事がうまく行ってる人も「凄く儲かってます!」とか「たくさんお客さんがいらっしゃいます!」とか殊更言わないのよ。
それがふつうだから。
「今日も普通です」ってわざわざ報告しないの。

それと、客数が多いか少ないか、とか、収入の多寡や、パートナーとの関係、親子の関係の良し悪しなどなどと、その人の満足度、幸福感とはあまり関係なくて、収入が少ないと不幸かっていったらそうとも限らないのよね。


そんな事でして、
幸せかどうか?豊かかどうか?楽しいかどうか?というのは自分で決めるものなので、そうなると、どこにでも転がってるのよ。幸せや豊かさ、楽しさも。

小さい事でいいから拾い上げて「しあわせ〜」「豊かだな〜」「たのしい〜」
と感じていると、まさしくそう言いたくなるようなことが増えるのよ。
で、毎日そういうことばかりだとそれが普通なので、いちいち「私しあわせなんです」って言わなくなるのです。


なので、分かりにくいけど、目立たないところで幸せな人って大勢います。


そして、もがいてるあなた、わざわざ難しい土俵に乗らなくていいのですよ。
すでに持ってるもの、資源とかリソースって言うけど、あなたが楽々できちゃうことで充分幸せで豊かでいられるのですから、難しい土俵へ上がることにエネルギーを費やさなくてもいいのですよ。


らくらくできることは何ですか?


わからなかったら友達や家族に聞いてみるといいですよ。
私が持ってる資源ってなにかなあ?
私の凄いところってどういうところ
かなあ?と


大抵、親の職業と関係してたり
親の存在そのものの場合もあるし、
パートナーだったり、子どもだったり
友人だったり、容姿だったり、性格、性別、年齢… 

お金をいただくお仕事だけじゃなく、主婦業、子育ても大事なお仕事だしね


これを使うとズルしていると指摘されそうだから使わない。それ以外で勝負する。
と思ってたりする、
その「ズルいもの」があなたのリソースですよ。