私が悲しくないとでも、
思ってるんだろうか。
毎日、子どもたちにご飯を食べさせなければならないし、洗濯物をたたんだり、掃除したり、そんなの泣きながらだってやらなきゃいけないのに。
物理的にも精神的にもいっぱいいっぱいなのに、
ズカズカ土足で入ってきて、どう考えても苦手な親戚のお墓の責任まで、すりつけようとしてきたあの親戚の態度、
夫の母親のデリカシーのない言葉、
あの人たちは、私をよく知らない。
決めつけられている私は私ではない。
心ない人のうわさ話が、
耳について離れない。
私は、母も祖母も大好きだった。
生み育ててくれたことに感謝している。
その気持ちが責任感になって、動いていることに付け入られていると感じる。
母の介護に関しては、いい時ばっかりではありませんでした。
苦しかったし、気持ちのやり場がどうにもならない時だってあった。
大好きな母が病気になった時の失望感。
悲しみや寂しさなんて言葉では表現なんて出来ない。
そして、実際にそれを現実として受け止めなければならなかったあの日々。
穏やかな優しい日々なんかじゃなかった。
そんな事、人にわざわざいう事ではないと思っていたけど、その時のことを忘れてはならないと思い直した。
ごめんね、娘たち。
ママは今は笑えない。
でも、明日はやってくる。
私だけ逃げるわけにはいかないし、
朝が来たら、またいつもどおり。
ランドセルの中をチェックして
朝ご飯作って。
頑張るから。
ブログには相応しくないけど、
どうしても今の気持ちを書き留めておきたかったのです。
目にされた方、気分を悪くされたらお詫び申し上げます。