ソウルオリンピック開催中に結婚。
新婚旅行先のカナダで
カール・ルイスに驚愕!
長野オリンピック2か月後に双子を出産。
大きなお腹をさすりながら、
「日の丸飛行隊」の金メダルに
歓声をあげていました。
誰もが興奮するオリンピックですが、
なぜ、そんなに意識するのか?
居場所クリエイターどてなべ。は
前回の東京オリンピック開催の年、
ぴったり5か月前に誕生しました
1964年。
当時6歳(年長さん)だった兄
(誕生時に東京開催が決定)が
その開会式を白黒テレビで観て、
感動の涙を流していた、と母から聞きました。
「オリンピックって、そんなにいいの?」
不思議な気持ちで聞いたのを
おぼえています。
それから、どてなべ。はオリンピックが成長とともに
いつもあったような気がしてきました。
物心がついたミュンヘン大会。
当時、男子バレーボールが強くて、
「ミュンヘンへの道」という
テレビアニメにまでなって、
レコードまで買いました
今でも唄えますからね~
そして「体操ニッポン」も
大好きでした。
そんな、どてなべ。の息子たちが
中学2年時にロンドン大会開催、
中学3年に2020東京大会
開催決定の
この歴史的な時代に
自らも体操競技をしていたのは偶然でしょうか?
とても不思議な気がしました。
1年生で全国大会スタッフ、
2年、3年で近畿大会出場と
貴重な経験をさせて
いただきましたから。
記念に購入した大会パンフレットには
歴代の優勝者の名前が
載っているのですが、
そこには
今や国民が、世界が知る選手、メダリストたちの
名前がありました。
その名前を眺めていると、
当時中学生だった選手の
競技に打ち込む
ひたむきな姿が
浮かんできます。
8月、我が家の双子が
近畿大会出場してくれたおかげで、
全国中学生体育大会出場権を得た
有望な選手たちを観ることができました。
「この中から将来、オリンピック選手が
でるんだろうな」と思ったのは
どてなべ。だけではなかったはずです。
そして、
まさに今朝、日本が悲願の2度目の
東京オリンピック開催が決定。
つい1か月前に目の前にいた、
子どもたちが、
うちの双子が声を交わした選手が、
通路ですれ違った子が
2020年、その晴れ舞台に立つかもしれない。
そう思うと、
感慨深いものを
感じます。
あの子たちが、そしてあらゆるスポーツ競技に
力を注いでいる、
また、注ごうとしている
多くの子どもたちが
今回の開催決定を受けて
大きな夢を得たでしょう。
競技選手唯一ののプレゼンテーターで
決定瞬間に号泣していた、
フェンシングの太田選手のコメントが
印象的でした。
「これからの子どもたちに舞台を
用意できた。」
「これからの日本は
世界中から注目される」
スポーツだけに限らず、これからの
子供たちに託せる日本を
世界に誇れる国にしていこう。
世の中には、人生には
いろいろあるけど、
立ち直るチャンスはいくらでもある。
そう思わせてくれる
今回の出来事。
多くのことに日本人は
希望を持てると思います。
また、
日本のプレゼンテーションも
素晴らしいもので、
誇らしかった!
映像の演出も
涙ぐむほどのストーリー性。
技術の高さに美術が
好きなRYOが反応していました。
何よりも、開催決定の瞬間を
オリンピックに何かと
ご縁のある家族4人で揃って観れて
幸せでした。
(今。3人は寝てますzzz)
「思いは叶う」のですね。
感動と感謝の夜明けでした。
さあ、自信を持とう!
がんばろう!!
ちなみに、どてなべ。の
実家の両親は1932年、
ロサンゼルス大会の
前後に誕生しています
また、どてなべ、には
ロンドン大会メダル獲得に
関わった人物や
体操メダリストに知人がいます。